関東の名城、鎌倉に築かれた北条早雲の「玉縄城」を訪れた バイクで往く城跡巡り

「植木1号市民緑地」の看板でも城の想像図を見ることができる
清泉女学院の裏門辺りは、かつて「玉縄城」の大手門だった。中に入ることはできないが、設置された解説板を読むことができた
「七曲坂」を登り切った標高55mの高台にある太鼓櫓は、狼煙台としても使われていた遺構
「七曲坂」を登り切った標高55mの高台にある太鼓櫓は、狼煙台としても使われていた遺構
玉縄城址まちづくり会議が保全活動を行なっており、各所に詳しい解説板が設置されているのでありがたい
太鼓櫓の崖下には平場があり、そこが煙硝蔵(武器弾薬庫)だったと言われている
太鼓櫓の崖下には平場があり、そこが煙硝蔵(武器弾薬庫)だったと言われている
崖下の煙硝蔵へは階段を降りて行けるはずだが、訪れた時は整備中ということで閉鎖されていた
住宅街の中に「玉縄城」の石碑が残されていた。急な階段の上に祭壇がある
住宅街の中に「玉縄城」の石碑が残されていた
「七曲坂」の解説板に書かれている「七曲殿(ななまがりどの)」は、戦国大名、北条氏康(ほうじょううじやす)の娘で、玉縄城主、北条氏繁(ほうじょううじしげ)の正室。玉縄北条家を取り仕切っていたと言われている
「七曲坂」は途中から階段になり、曲がりくねって登っていく
「七曲坂」は途中から階段になり、曲がりくねって登っていく
「七曲坂」は途中から階段になり、曲がりくねって登っていく
「七曲坂」の途中、麓の幼稚園を見渡せる辺りは「武者だまり」の跡とされていて、ここで下方から攻め上がって来る敵兵を迎撃したという
クネクネと曲がりくねった「七曲坂」を登頂。左側に太鼓櫓、正面に本丸が待ち構える
クネクネと曲がりくねった「七曲坂」を登頂。左側に太鼓櫓、正面に本丸が待ち構える
玉縄北条家の菩提寺である「龍寳寺」にも詳しい解説板があった。また敷地内には「玉縄歴史館」もある
少し足を伸ばして、「玉縄城」から北東に位置する「長尾砦趾(ながおとりであと)」にも行ってみた。ここは「玉縄城」の出城とも言われている。鎌倉以前からある長尾の歴史や、北条家に組み込まれていった歴史などが解説板に書かれていた
少し足を伸ばして、「玉縄城」から北東に位置する「長尾砦趾(ながおとりであと)」にも行ってみた。ここは「玉縄城」の出城とも言われている。鎌倉以前からある長尾の歴史や、北条家に組み込まれていった歴史などが解説板に書かれていた
「玉縄城」を散策すべく、緑地として整備・公開されている「植木1号市民緑地」看板前に到着。ここでも城の想像図を見ることができる
太鼓櫓は狼煙台としても使われていた。その遺構は「七曲坂」を登り切った標高55mの高台にある
「七曲坂」を下から歩いてみる
玉縄北条家の菩提寺である「龍寳寺」と「玉縄歴史館」にも訪れた

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