クルマでもバイクでもない サイドカーでラリーの世界に挑む、とは?
モータースポーツの中でも、レーシングサイドカーで世界に挑み続けている日本人は少ないのではないでしょうか? それが国境を越えるクロスカントリーラリーに特別仕様の「サイドカークロス」で参戦するようです。
見慣れない姿に驚愕!? どことなくワクワクさせてくれるマシン
バイクの側面(左右どちらか)に側車(フネとも呼ばれる)を取り付けた乗りものが「サイドカー」、それは知る人も多いと思いますが、「サイドカークロス」という乗りものは、なかなか珍しいのではないでしょうか?

いわゆる「サイドカー」の「モトクロス」マシンです。日本ではあまり馴染みのないジャンルですが、海外(おもに欧州)では古くから続くレースとして、現在でも開催されているようです。
JRSA(Japan Racing Sidecar Association:日本レーシングサイドカー協会)の会長を務める渡辺正人氏が組み上げたこのスペシャルなマシンは、サイドカークロスをさらに「ラリー」仕様に仕立てたものです。
渡辺氏はこれまで、速さを追求した特殊な形状のレーシングサイドカー(レーシングニーラー:racing kneeler)で日本国内レースはもとより、マン島TTレース(2007年)やパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム(2013年から2016年)などに挑戦してきました。

そして次なるステージへ挑むため、サイドカークロス(ラリー仕様)を作り上げたのです。それが、毎年8月に開催される『アジアクロスカントリーラリー(英名/ASIA CROSS COUNTRY RALLY、総称/アジアンラリー)』です。
「アジアンラリー」は、タイ王国を基点として周辺各国をまたいで山岳部やジャングル、広大なプランテーションなど設定されたルートを、コマ図(ラリー競技専用のルートマップ)を見ながら走り、ほぼ毎日変わる宿泊地を目指しながら6日間かけて2000km以上を移動する、アジア最大級のFIA(国際自動車連盟)公認クロスカントリーラリーです。2019年で24回目をむかえ、これまで8カ国を走破してきました。
レーストラックからクロスカントリーへ ステージはアジアの大自然
じつは渡辺氏は、2019年で3回目の参戦となります。最初の挑戦は2017年、クローズドコースのハイスピードレースからうってかわって、ロシア製サイドカー「ウラル」でアジアの赤土に挑みました。

2017年は「Rising Sun Racing」という自身のチームで参戦し、2018年は「Rising Sun Racing with URAL MOTORCYCLES」、そして2019年は「JRSA」として挑みます。
これまでの挑戦や経緯について、渡辺氏は以下のようにコメントします。
「100周年のマン島TTレースや、4年連続でパイクスに挑戦できたのは本当に幸運でした。国内でレーシングサイドカーの活動を続けてきて、世界で走りたいと思うのは自然の流れです。
JRSAでは団体のテーマとして、世界へ挑戦したい人たちを受け入れ、サポートし、送り出すことがあります。
そこで自分たちのやってきたことが活かせることもあるでしょうし、いまでも続けていることが前例にもなりますから、可能な限り続けていきたいと考えています。それが現在はアジアンラリーになっています」
アジアンラリー初参戦の年、渡辺氏のチームがサイドカーで挑むことになって、アジアンラリーの車両クラスはAUTO(4輪)とMOTO(2輪)に加え、SIDECAR(サイドカー)が設定されました。※サイドカーが1チームのみだったため「アドベンチャーチャレンジ」という特別枠で参戦。

過去2回の挑戦では、クルマやバイクと同じペースで全行程を走りきることができませんでした。
マシンは過酷な悪路と長距離移動、それにハイペースで、ほぼ毎日どこかしらが破損し、宿泊地に到着すると毎晩のように修理に追われていました。
そこで方針をあらため、スピードではなく「完走」を優先し、リタイアを避けて無事、最終ゴール地点に到達したのです。
その状況に本人は「そりゃあそうだ、だってウラルだから(笑)」と明るく言います。そもそもウラルはレーサーではなく、悪路をじわりじわりと突き進む、昔ながらの水平対向2気筒エンジンを搭載するサイドカーです。
このように、渡辺氏はアジアンラリーを2回経験し、3年目のチャレンジでは“攻める”ことにしました。そこで選んだのが「サイドカークロス」だったのです。

ラリー仕様のサイドカークロスは先日(7月中旬)横浜港でシッピングを終え、ほかの日本選手のマシン(2輪、4輪)とともに、海上輸送でタイへ向かっています。
8月開催のアジアンラリーでどのような走りを見せてくれるのか、結果を楽しみに待ちたいと思います。
【了】