往年の名ドライバーの格言は「コーナーは真っ直ぐ走る」「ブレーキは踏まない」~木下隆之の、またがっちゃいましたVol.12~

日本の自動車レース黎明期からトップを張った往年のレーサー達の腕っ節の強さは、モトクロス時代に培われたと想像してしまいます。昭和の名レーサー達は、腕も気持ちもとても太い!!

モトクロス出身者が多い往年のドライバーたち!

 僕が日産契約ドライバーだった当時、コンビを組ませてもらっていた都平健二さんと、2年ぶりに再会した。

1972年富士GC第1戦富士300kmにて日産スカイラインGT-Rは前人未踏50連勝達成

 もうレースを引退され、悠悠自適な生活を過ごしておられるが、いまだにかつての威圧感は薄れていない。なんといっても、二の腕は丸太のように太く、毛むくじゃら。暗がりで見たら。熊と間違えてしまうのではなかろうか、というほどの体躯は、重たいハンドルを握らなくなった今でも健在なのである。

 78才になられた都平健二さんの日産ワークスドライバー時代の武勇は華々しい。日本グランプリでは伝説の日産R382を駆り、高橋国光とコンビで参戦。日産スカイラインGT-R前人未踏50連勝に貢献。富士グラチャンやフォーミュラで活躍。日本の自動車レース黎明期からトップを張った往年の名レーサーなのだ。

腕っ節の強いドライバーは皆バイク経験者(Photo:都平健二さん)

 その腕っ節の強さは、おそらくモトクロス時代に培われたものなのだろうと想像する。氏は、モトクロス界の名門・城北ライダース出身である。高橋国光、星野一義、長谷見昌弘らと同じように、レーシングドライバーなどいなかった当時、日産はモトクロスでのトップライダーを青田買い。札束を積みあげてレース界に引き込んだ。往年の日産ドライバーがみな、ケンカのためなのかライディングのためなのか、肩から先に丸太が生えているのはそれが理由だ。
 
 そればかりか、ドライビングスタイルも樹齢1000年の杉の木が聳えるように太い。

 都平健二の格言がイカしている。

「コーナーは真っ直ぐ走る」
「ブレーキは踏まない」

 これほど完結に混じり気なく、闘うレーシングドライバーを表現した言葉がこれまであったであろうか。物理の法則を正々堂々と正面から裏切る論理が、氏のドライビングを表現している。

都平健二さんとチームを組み数々の伝説を作った筆者(木下隆之)

 かつて僕がコンビを組ませていただいていた時代の武勇伝は、それこそ本が一冊書けるほどの数に及んでいるのだが、その中の一節を紹介しよう。

「あのコーナーはアクセルを抜かないと曲がり切れないんですよ」
「だったらコースを広げればいい」

 モトクロスあがりの昭和のレーサーは、気持も丸太のように太い。

【了】

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Writer: 木下隆之

1960年5月5日生まれ。明治学院大学卒業後、出版社編集部勤務し独立。プロレーシングドライバーとして全日本選手権レースで優勝するなど国内外のトップカテゴリーで活躍。スーパー耐久レースでは5度のチャンピオン獲得。最多勝記録更新中。ニュルブルクリンク24時間レースでも優勝。自動車評論家としても活動。日本カーオブザイヤー選考委員。日本ボートオブザイヤー選考委員。

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