首都高の羽田トンネル先にある謎の合流はいったい何? 今は使われていない「羽田可動橋」とは

道路を走っていると、不思議なもので不可解なものに遭遇することがあります。案内のない分岐や合流もそのひとつで、首都高横羽線上りでは合流跡が見られます。脇見運転になってしまうため、走行中に確認できないのですが、この先には何があるのでしょうか。

羽田トンネルの横には可動橋があった

 横羽線を環状線C1方面へ走行して羽田空港を右手に過ぎ、羽田トンネルを抜けてパッと視界が広がり坂を上がると、左手に現在は使用されていない合流があります。この合流する車線の元をたどると、首都高の遺構の一つである「羽田可動橋」につながります。

上空から見た「羽田可動橋」(画像:首都高速道路)

 羽田可動橋は「空港西」入り口からの合流で使用されていました。羽田トンネルは以前、渋滞がよく発生する場所だったため、「空港西」から入るクルマをトンネル手前で合流させてしまうと、空港西から入るクルマは渋滞の真っ只中への合流となっていました。

 そこで、1990年、横羽線上りの渋滞緩和のために空港西(完成当時は「空港」)から入ったクルマは「羽田可動橋」を通り、昭和島JCTへ直接つながるバイパス道路として整備されました。しかし、可動橋を通れた期間は1990年4月から1998年4月の約8年ほどで、その後は使用停止となっています。

今は使われていない可動橋を作った理由とは

 前述のとおり1990年4月16日に使用を開始した羽田可動橋は、湾岸線が開通するまでの横羽線上りの渋滞緩和を目的として建造されました。回転式となった理由は、海老取川の奥に製鉄所があり船の出入りが想定されたこと、空港が近く、建造物の高さに制限があったことが理由です。

1990年4月から1998年4月の約8年ほど使用されていた「羽田可動橋」(画像:首都高速道路)

 羽田可動橋は開閉に10分ほどの時間がかかったそうで、羽田可動橋が通行できなくなっている際は、トンネル手前の入り口から合流できる構造になっています。

 そして、1993年9月27日に湾岸線の空港中央から東海JCTまでが開通します。このときに呼称が現在の「空港西」に変わります。1994年の湾岸線開通後は羽田トンネル付近の渋滞がほぼ解消され、1997年12月のアクアライン開通後の渋滞も発生していないことから、1998年に運用を停止しました。

大田区大森側から見た現在の「羽田可動橋」。桁下高が明記されています

 この可動橋は現在でも海老取川にそのまま残っており、首都高を走行する車内からは見えませんが、近くまで行けばその姿を見ることができます。

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 歴史ある首都高では、さまざまな遺構や不思議なものがたくさんあります。その場で確認して、つい、わき見運転しないためにも、気になるものは運転を終えた後に調べることをおすすめします。歴史や経緯を知ることで、運転が楽しくなるばかりでなく、道路をよりよく覚えることができ、安全な走行につながるかもしれません。

【了】

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