目玉のマークでおなじみの「ムーンアイズ」 ロゴマークの製作にはディズニーのデザイナーも関与!?

黄色地の丸に目玉が描かれた』ロゴをトレードマークとして掲げる「ムーンアイズ」は、様々な角度からアメリカン・カスタム・カルチャーを伝導する老舗メーカーです。同社はどのような経緯で設立されたのでしょうか。誕生秘話に迫ってみました。

世界から注目を集める『YOKOHAMA HCS』を主催する「ムーンアイズ」とは?

 2019年12月1日、神奈川県横浜市にある『パシフィコ横浜』にて我が国、最大の『アメリカン・カスタム・カルチャー』の祭典である『YOKOHAMA HOTROD CUSTOM SHOW 2019(ヨコハマ・ホットロッド・カスタムショー)』(以下HCS)が開催されます。

ムーンアイズを代表する一台といえるレーサー、『ムーンライナー』はHCS25周年である2017年に来日し、パシフィコ横浜でも展示。70年代には『キリン・Mets』のCMにも貸し出され、日本のお茶の間のブラウン管にも登場する。(写真提供:ムーンアイズ)

 1dayで1万8000人の観客数を数え、Carショーにおいては300台、モーターサイクルでは650台分のエントリー枠を誇る同ショーですが、28回目を迎えようとしている現在では世界的に注目を集め、海外からも多くの参加者が訪れるようになっています。

 そのショーを主催する『ムーンアイズ』という企業は、アメリカン・カスタム・カルチャー好きの間ではお馴染みといっても過言ではない存在ですが、一般的なバイク・ファンにとっては、ともすればピンとこない方も多いのではないでしょうか。

 その会社の概要をシンプルに説明するとクルマ・バイク・ウェアやグッズなどをトータルでリリースする『アメリカン・カスタム・カルチャー』の総合メーカーと説明するのが適切かもしれません。

67年の歴史を持つムーンアイズ誕生秘話

 同社は1952年にアメリカ、カリフォルニアのサンタフェ・スプリングスで“ディーン・ムーン”氏という人物によって創業されたのですが、もともとのスタートはクルマのホットロッド(エンジンパーツの一つであるコンロッドが熱くなることが語源)のチューニングを行う『ムーン・オートモーティブ』として設立されています。

1952年にカリフォルニアのサンタフェ・スプリングスで『ムーン・オートモーティブ』を設立し、後に『ムーンアイズ』へと発展させたディーン・ムーン氏。50~80年代にかけて様々なオリジナルパーツ、スニーカー、スイムスーツ(水着)などをリリースし、レース活動を通じてホットロッドカルチャーの発展に尽力する。クルマのフォトジャーナリストとしても活躍。1987年に死去。享年60歳。(写真提供:ムーンアイズ)

 アルミ製のクルマ用ペダルやホイールに取り付ける『ムーン・ディスク』、バレル型のフューエル/オイルタンクなどをリリースしたことを皮切りに、現在、同社ではクルマ用はもちろん、バイク用パーツやウエア、グッズなど多岐に渡る商品をトータルで展開しています。

 ちなみに、それほど『アメリカン・カスタム』に興味のない人でも、『黄色地の丸に目玉が描かれた』イラストや、クルマのアンテナの先端に取り付けられた『ボール』を目にしたことがあるという方もいるかもしれませんが、2007年に公開されたハリウッド映画『トランスフォーマー』の中で主役メカである『バンブルビー』が変形する前のカマロに貼ってあった『目玉のステッカー』のメーカー、と説明すればピンとくる方も多いかもしれません。この『目玉のマーク=アイボール』こそがムーンアイズの象徴です。

 この『アイボール』は、もともとはディーン・ムーン氏が大学時代、自身の『Moon』という名の『oo』の箇所にタイプライターで悪戯でピリオドを打ったことが発端だそうで、その後、ムーンアイズが後援したレーサー、レイトン・ハンター選手のゼッケンの『00』部分に瞳を描き加えたことがルーツです。その後、1957年にディズニーのデザイナーに依頼し、今に続くロゴになったといいます。

 そのムーンアイズはアメリカで0-400m(正確には1/4マイル=402.33m)の直線で行われるドラッグレースや、水の干上がった広大な湖(ドライレイク)で最高速を競うスピードトライアルなどに1950年代から積極的に参戦し、アメリカのチューニング・カーの世界では知らない人はいない存在になりました。

1986年に『ムーン・オブ・ジャパン』を設立し、1990年より米国を含めた『ムーンアイズ』の代表に就任するShige菅沼氏。アメ車のパーツメーカーとして業務を展開していた同社をバイクパーツやウェア、グッズまで『総合アメリカン・モーターカルチャー』にまつわる商品を幅広く扱う規模に発展され、1987年からは『ストリートカー・ナショナルズ』、1992年から『YOKOHAMA HCS』などのイベントも主催。オーガナイザーとしての顔も持つ。

 1987年に創業者のディーン・ムーン氏が逝去、1990年には業務を引き継いでいたシャーリー夫人もこの世を去り、1990年からは日本で1986年より『ムーン・オブ・ジャパン』として活動していたShige菅沼氏が、この伝統あるアメリカのメーカーを統括して受け継ぎ、現在に至っています。

イベントを通してアメリカンカルチャーを伝導

 Shige菅沼氏が代表に就任した後は、様々なパーツやグッズのラインナップを増やし、その流れがモーターサイクルのパーツなどにも広がっていった印象を受けるのですが、それは『イベント』に関しても然りです。

毎年、12月の第一週に神奈川県のパシフィコ横浜で開催される『YOKOHAMA HCS』。日本国内のクルマ、バイクのアメリカン・カスタムが一堂に会する。

 Shige菅沼氏は、『ムーン・オブ・ジャパン』が創業されてからまもなくである1987年にクルマのアウトドア・ショー『ストリートカー・ナショナルズ』の開催を皮切りに、1992年にはインドアショーの『HCS』をパシフィコ横浜でスタートし、2002年には同ショーでモーターサイクル部門のエントリーも開始しています。

 2005年からはお台場のアウトドア会場で『モーターサイクル・スワップミート』がスタートし、2019年10月6日には神奈川県の大磯ロングビーチで初開催されるアメリカン・カスタム・カルチャーの世界をトータルで展開するアウトドア・スワップミートイベント、『サーフ・シティ・マーケット・プレイス』も企画されています。
 
 このように我が国の『アメリカン・カスタム・カルチャー』をトータルで盛り上げる『オーガナイザー(主催者)』としての顔もムーンアイズというメーカーを語る上で欠かせない要素です。

 ちなみにチョッパーの世界では1年に1度、年末のパシフィコ横浜で開催される『HCS』を目指してカスタムビルダーたちが最も力を注ぐマシンを造り上げ、エントリーするのがひとつの流れになっているのですが、日本最高峰の車両が立ち並ぶ同ショーは今や世界中のカスタム・ファンから注目を集めるものとなっています。

 そのあまりの盛況ぶりから来場バイクの騒音が問題となり、2014年開催時からは残念なことに『バイクでの来場が禁止』となってしまった『HCS』ですが、しかし、多くの出展者や来場者の協力によって、ショー当日は電車やバスなどの公共機関を使った来場が浸透することで存亡の危機を乗り越え、現在も変わらずに活気が保たれています。
 
 それどころか、今や日本全国のみならならずインドネシアやマレーシア等の東南アジア諸国からもエントリーが集まり、アメリカで開催されるアウトドアショー『ボーンフリー』のアワードバイクとその製作を手掛けたカスタムビルダーがインバイト(招待)ゲストとして毎年、来日。インターナショナルなショーへと成長を遂げています。

カーマニアであると共に10代からのバイク好きでもあるムーンアイズ代表、Shige菅沼氏は、これまで数々のカスタムバイクを所有。ホンダCBをドラッグレーサー的にモデファイした『MOONDA』やトライアンフ・チョッパー、ハーレー・スポーツスターディガーなど、そのスタイルも幅広い。一部車両は現在も横浜市中区本牧のムーンアイズに展示されています(CB750のみ写真提供:ムーンアイズ)

 様々なパーツやグッズをリリースするだけに留まらず、イベントを通じて我が国の『アメリカン・カスタム・カルチャー』の普及に尽力するムーンアイズというメーカー、その代表であるShige菅沼氏は「このカルチャーが純粋に好きで始めたショーなので、先の未来でも楽しい空間を皆さんと共有出来れば」とも語ります。

 現在では世界中から注目を集める日本のチョッパー・シーンですが、その最高峰のマシンたちが集う「YOKOHAMA HOTROD CUSTOM SHOW」の開催まで気がつけばあと3ヶ月ほど。今年もバイクでの来場が禁止となる『SHIZUKANI』のキャンペーンは継続中です。

 第一回の開催から今年で28年目……文字どおり世界に誇る『YOKOHAMA HCS』が、この先も益々盛り上がることを期待したいところです。

【了】

長い歴史を持つ『ムーンアイズ』の秘蔵写真

画像ギャラリー

Writer: 渡辺まこと

ハーレーや国産バイクなど、様々な車両をベースにアメリカン・テイストのカスタムを施した「CHOPPER」(チョッパー)をメインに扱う雑誌「CHOPPER Journal」(チョッパージャーナル)編集長。カスタム車に限らず、幅広いバイクに対して深い知識を持つベテラン編集者。

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