「走る棺桶」を操るレーシングドライバーのほとんどがライダー転身組 ~木下隆之の、またがっちゃいましたVol.37~
レーシングドライバーもごっそりと稼げる時代があった。昭和のモータースポーツ黎明期を走ったレーサーたちが乗るレーシングマシンを見れば、それがいかに危険なスポーツであったか想像に難くない。速さを兼ね備えたレーシングドラーバーは、ライダーからの転身者が多かった!
昭和のレーシングドライバーは長者番付の常連!?
レーシングドライバーもごっそりと稼げる時代があった。昭和のモータースポーツ黎明期を走ったレーサーは特に恵まれていたようで、現代の貨幣価値に置き換えれば、億を軽々と超える札束を手にしていたというから腰を抜かし掛ける。

一部の国民的プロ野球選手をのぞけば、そこにはドリームがあった。当時に長者番付があったのならば、スポーツ芸能欄の上位にずらりとレーシングドライバーの名が並んだのであろう。羨ましいかぎりである。
ただ、それも道理である。だってマシンは「走る棺桶」と呼ばれるほど安全性に乏しく、いつ命を落しても全く不思議ではない環境にいたからなのだ。つまり、命の代償に得た金だと思えばそれも納得がいく。
かつてのレーシングマシンを見れば、それがいかに危険なスポーツであったか想像に難くない。マシンが横転したときにドライバーの生存空間を護るためのロールケージは、4点式のパイプがお情け程度に組み込まれているだけで、そのパイプとてちょっとした力もちならばへし折ってしまいそうなほど貧弱である。
安全タンクなどはなかったから、クラッシュすれば簡単に燃料が飛び散った。真っ赤な焼けたエキゾーストに降り掛かれば炎上は必至だ。往年のマシンを観察するだけで背筋に冷たい汗がながれる。貧相なガソリンタンクが、エンジンルームのすぐそばに無造作に設置されているのである。事故の衝撃で命を落とすよりも、火に包まれて焼け死ぬドライバーも少なくなかったのだろう。
それでもマシンは驚くほど速かった。マシンを速くするためには、ただエンジンの排気量7リッターや8リッターと大きくし、ひたすら馬力を稼ぐしか技術がなかった。すると確かにパワーは稼げるのだが、当時のシャシー技術は貧弱だし、タイヤのグリップも、今でいうエコタイヤレベルであったに違いない。そんな「走る棺桶」を250km/h以上の速度で走らせ、超接近戦を演じるのだから、そりゃもう億を超える契約金をいただかなきゃ割りに合わないわけだ。「レーサー=命知らず」と言われるのも道理なのだ。

そしてその「走る棺桶」を走らせるレーシングドライバーのほとんどが、ライダーからの転身組であったことにも合点がいく。だってライダーのほうがもっと危ないような気がするからね。
【了】
Writer: 木下隆之
1960年5月5日生まれ。明治学院大学卒業後、出版社編集部勤務し独立。プロレーシングドライバーとして全日本選手権レースで優勝するなど国内外のトップカテゴリーで活躍。スーパー耐久レースでは5度のチャンピオン獲得。最多勝記録更新中。ニュルブルクリンク24時間レースでも優勝。自動車評論家としても活動。日本カーオブザイヤー選考委員。日本ボートオブザイヤー選考委員。