かつてモーターサイクルも生産していた自転車メーカー『MIYATA』は創立130周年 その歴史とは?

かつてモーターサイクルも生産していた自転車メーカー「ミヤタサイクル」は、2020年で創立130周年を迎えました。どのような歴史があるのでしょうか?

国産開発の成功で自転車を大衆化、モーターサイクルの生産にも挑戦

 2020年、日本を代表する自転車メーカーのひとつ『MIYATA』(現ミヤタサイクル)が創業130周年を迎えました。1890年(明治23年)に日本初の純国産自転車の製造に成功したMIYATAの歴史は、日本の自転車産業の歴史といっても過言ではありません。また、かつてはモーターサイクルも生産していたこともあるなど、その足跡はライダーにとっても大変興味深いものです。

1973年発売のプロ用最高級ロードレーサー「The miyata」。宮田工業は「SSTB(スパイラル・スプライン・トリプル・バテッド)」と呼ばれる独自技術を活かし自転車競技の本場ヨーロッパのロードレースでも活躍。これはフレームで使用するクロモリチューブの肉厚を場所によって変え、内側に螺旋状の補強リブを施すことで高い剛性と強度、軽量性を実現する加工方法(写真提供/ミヤタサイクル)

 ミヤタサイクルのルーツは、1881年創業の『宮田製銃所』です。その名の通り、ライフルなどの鉄砲を製造するメーカーでしたが、1890年に日本初の“安全型自転車”(ダイヤモンドフレームやチェーン駆動を特徴とする自転車。今日の自転車の原型)の開発に成功すると、その2年後には銃製造業から自転車製造業に転向し、社名も『宮田製作所』に改称しました。

 当時の自転車は一部の富裕層だけが所有できる高価な輸入品であったため、国産化によって大衆化が進めば大きな産業へと成長する可能性があったのです。なぜ銃の製造メーカーが自転車を手掛けたかというと、金属パイプの加工や溶接、焼き入れといった銃身の製造技術が転用できたためです。

 こうした例は日本だけではなく、海外でも見られました。スペイン最大の自転車メーカー「オルベア」もライフルや拳銃を製造するメーカーが前身でしたし、バイクメーカーとしても有名なイギリスの「BSA」もそうです。

 国産自転車のトップメーカーとなった宮田製作所は、1913年にトライアンフを模倣した「旭号」というモーターサイクルの生産も開始。「アサヒ号A型」(1933年)や改良版の「アサヒ号AA型」(1935年)などの小排気量車を手掛け、陸王やメグロと並び、戦前を代表する国産モーターサイクルメーカーのひとつになります。

 戦後も「アサヒ350JA」(1956年)や「アサヒLA500」(1959年)、「ミヤタOA」(1961年)といった意欲的なモデルを送り出すものの、モータリゼーションの本格化に伴う過当競争に生き残ることができず、1962年にモーターサイクル事業から撤退しています。

 宮田製作所は1952年に日本初の粉末消火器も開発しており、自転車との二本柱になる事業へ成長させます。2011年に自転車部門の『株式会社ミヤタサイクル』と、防災部門の『モリタ宮田工業株式会社』は分社化されますが、後者では現在も消火器の生産を続けています。

 戦後、右肩上がりの高度成長期になると自転車の需要が急大し、1950年代、60年代にはスポーツサイクルによるサイクリングブームが訪れます。

1979年、ベルギーの強豪プロサイクリングチーム「アイスボルケコガミヤタ」のスポンサーとなり、欧州のロードレースシーンでも存在感を発揮(写真提供/ミヤタサイクル)

 70年代になると石油ショックの影響により、アメリカへ日本製スポーツサイクルが大量に輸出されるようになり、宮田をはじめ、ブリヂストンやパナソニックといった日本の自転車メーカーが欧米の市場を席巻します。

 宮田はオランダの自転車メーカー「KOGA」社と契約し、ヨーロッパのプロサイクリングチームのスポンサードなど、ロードレースシーンでも存在感を発揮します。1981年には日本製のロードフレームでは初となる「ツール・ド・フランス」での区間優勝も達成しました。

MTBのムーブメントを経て「e-BIKE」の時代へ

 1980年代になると、アメリカから新しい自転車のムーブメントがやってきます。未舗装路走行に特化して設計されたマウンテンバイク(MTB)です。宮田を含む日本の自転車メーカーは当初、海外MTBブランドの生産を行っていましたが、後に自社ブランドでもMTBを展開。宮田「リッジランナー」は1989年のMTBダウンヒル競技の世界選手権で優勝するなど一時代を築きました。

前後にサスペンションをもつ「RIDGE-RUNNER 8080」。かつて世界のMTBシーンを牽引した名車「リッジランナー」の名は、現在e-BIKEへと受け継がれている。価格(税抜)41万9000円(写真提供/ミヤタサイクル)

 しかし、90年代から自転車の生産拠点が中国・台湾へとシフトしたことによって、日本の自転車メーカーは急速に世界市場での存在感を失うことになります。

 2000年代後半になると、次世代の交通機関として世界的にスポーツサイクルが注目されます。宮田はかねてから技術支援を行い、世界第2位の規模にまで成長した台湾の自転車メーカー「メリダ」の輸入代理店となり、日本国内におけるブランド認知度を大きく高めることに成功しています。

 現在、ミヤタサイクルはメリダが筆頭株主となり、スポーツサイクル、とくに電動アシスト付き自転車「e-BIKE」を積極的に展開する国内メーカーの筆頭として存在感を発揮しています。

 一般的にはまだまだ未知な乗り物であるe-BIKEですが、ミヤタが長年培ってきたクラフトマンシップへの信頼があれば、そう遠くないうちに多くの人々へと浸透することでしょう。

【了】

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Writer: 佐藤旅宇(ライター)

オートバイ専門誌『MOTONAVI』、自転車専門誌『BICYCLE NAVI』の編集記者を経てフリーライターに。クルマ、バイク、自転車、アウトドアのメディアを中心に活動中。バイクは16歳のときに購入したヤマハRZ50(1HK)を皮切りに現在まで20台以上乗り継ぐ。自身のサイト『GoGo-GaGa!』も運営する1978年生まれ。

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