アメリカを代表するハーレー用パフォーマンス・パーツメーカー 「S&Sサイクル」の歴史を改めて振り返る【パート3】

アメリカを代表するハーレー用パフォーマンス・パーツメーカー 「S&Sサイクル」はこれまでに数々の製品を送り出し、ハーレー・カスタムやレースの世界を支えてきました。ここでは改めて同社の歴史を振り返ってみましょう。

ハーレー社の開発にも関わったS&S

 1958年にS&Sを創業したジョージ“J”スミスの息子であるジョージ“バーナード”スミスが入社した1979年……この年は同社にとって一つの転換期といえるかもしれません。

S&Sを代表するレーサーといっても過言ではない“TRAMPⅢ”は、最終的にEVOタイプエンジンのニトロ仕様となり、226.148mph(約362km/h)を記録。ライダーが覆いかぶさる乗車姿勢となるのでタンク上部には革製のパッドが装着されています(写真提供:S&S CYCLE.Inc)

 後に代表となるジョージ“B”スミスの入社も大きな出来事ですが、それよりもこの年にS&Sは初のダイキャストパーツである“2スロートキャブ”を開発し、その際にCNCマシンを導入。アルミ切削加工を容易にするこの工作機械によって、より近代的な生産システムに発展を遂げることとなります。
 
 ちなみに後の歴史を振り返ると、この“2スロートキャブ”がジョージ“J”スミスが最期に開発に着手し、息子であるジョージ“B”スミスが最初に関わったプロダクツとなっています。
 
 また、この時代にはS&Sは自社のみならずハーレー・ダビッドソン社の開発にも大きく関わっており、75年にはハーレー社から依頼される形でストローカー・クランクを使用したプロトタイプ・エンジンを製作。

 ケン・スミス(創業者であるジョージ・スミスの次男)氏いわく、このエンジンはドラッグレース場に何度も持ち込まれ、様々なテストを繰り返して信頼性と耐久性が確かめられたとのことです。その結果、1979年からハーレーのショベルヘッド(エンジン)の排気量が74cu-in(約1200cc)から80cu-in(1340cc)に拡大されるのですが、その決定の裏にはS&Sによるデータの蓄積が大きく関わっていることは間違いなさそうです。

S&Sが飛躍的な発展を遂げた80年代

 奇しくもそんな時代である1981年に創業者のジョージ“J”スミスが他界し、息子のジョージ“B”スミスにS&S社が受け継がれることになるのですが、このセカンド・ジェネレーションの時代こそがビジネス的にも技術的にもS&Sが飛躍的に発展を遂げた時期といえるかもしれません。

1990年のカタログ撮影用写真に収まるS&Sレースクルー。“TRAMPⅢ”に跨るのがライダーでありS&Sのマシニストであるダン・ケンジーで、その左後ろの人物が二代目社長であるジョージ“B”スミス。ケンジーの右よりB・ブルームバーガーとサム・スコラダ、そして手前に座る人物がこの記事を執筆する上でインタビューに協力頂いたケン・スミス。創業者のジョージ“J”スミスの息子と娘婿たちというファミリービジネスがこの時代のS&Sのスタイルです(写真提供:S&S CYCLE.Inc)

 ジョージ“B”スミスは最初にデザインした“スーパーDキャブレター”を1983年に発表し、同年から最高速を競うランドスピード競技に参戦する同社のレーサーである“TRAMPⅢ”にプロトタイプを装着した“ショーティーキャブ”を1991年に開発。

 2004年の時点でベンチュリー内径47.6mmの“スーパーE”と、それよりも大径の52.3mm“スーパーG”が累計で50万セットの売上を記録したのですが、これは“スーパーD”以前の砂型によるキャスティングを金型のダイキャストへ変更したことが大きかったとのことで、生産効率が上がり、コストが下がったため、年間で5000セットが限界だったキャブの生産量が年間4万へ増加したそうです。

 また、このキャブが生み出された素地として父であるジョージ“J”スミスの時と同じようにジョージ“B”スミス時代もS&S社は積極的にレース活動を行うのですが、その記録を簡単に羅列すると、まずは1983年に塩水の増加の影響でボンネビルスピードウィークが中止となった代わりにネバダ州のブラックロック・デザート(砂漠)で開催されたランドスピードレースにエントリー。

 この時からライダーは73年に入社したダン・ケンジーが務め、クルーもジョージ“B”スミス、フロイド・ベイカー、シド・スミス、ヴァンス・ブリーズなどの新世代のエンジニアとジョージ“J”スミス時代からのデニス・マニングという体制にシフトし、1985年には最高速の聖地であるユタ州ソルトレイクのボンネビルにカムバックを果たすことになります。

1981年からS&Sはエキゾーストメーカーの“BUB”と業務提携を結び、デニス・マニングがデザインした“Manning streamliner”でも最高速レースに参戦。1985年にソルトレイクで開催された“ United Salt Flats Racing Association”という新しいレース組織による大会では276.510 mph(約442km/h)を記録します。写真に写る人物は左からJ・アンダーソン、G・スミス(Jr)、D・ケンジー、そしてG・スミスJrにとって叔父にあたるマージョリー・スミスの弟、シド・スミスという顔ぶれです(写真提供:S&S CYCLE.Inc)

 この時、S&Sは“TRAMPⅢ”と98cu-inのプロトタイプ・サイドワインダーキットが搭載された1985年式ハーレー・ FXと“Manning streamliner ”でエントリーし、“TRAMPⅢ”がガソリンクラスで 192.376 mph(約309km/h)の速度を記録。世界最速の“単一エンジン・キャブレター仕様のガソリンモーターサイクル”の称号を獲得します。
 
 また同年の9月、同じくソルトレイクで開催された“ United Salt Flats Racing Association”という新しいレース組織による大会では“Manning streamliner”が276.510 mph(約442km/h)をマーク。ちなみにアメリカの最高速競技は6マイル(約10km)の直線での往復の平均速度が記録となるのですが、この時、“Manning streamliner”の最高速度は280.145 mph(約448km/h)という凄まじいものだったそうです。
 
 最終的に“TRAMPⅢ”もナイトロメタン(液体ニトロ燃料)仕様にエンジンを変更し、91年でのシングルエンジン記録である226.148mph(約362km/h)をマークするのですが、この時の経験で得た技術の数々が後のプロダクツに生かされ、92年のオリジナルのシリンダーヘッドや93年のコンプリートモーターの登場に繋がっていくのです。(続く)

【了】

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Writer: 渡辺まこと(チョッパージャーナル編集長)

ハーレーや国産バイクなど、様々な車両をベースにアメリカン・テイストのカスタムを施した「CHOPPER」(チョッパー)をメインに扱う雑誌「CHOPPER Journal」(チョッパージャーナル)編集長。カスタム車に限らず、幅広いバイクに対して深い知識を持つベテラン編集者。

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