「ロッシはスタンドからでもMotoGPを支配し続ける」シュワンツがロッシにスペシャルヘルメットをプレゼント!
引退へのカウントダウンに入っているヴァレンティーノ・ロッシ(ペトロナス・ヤマハ・セパン・レーシング・チーム)。2019年以来となるアメリカズGPでは憧れのライダーと久しぶりに再会し、素敵なプレゼントをもらったようだ。
ロッシが少年時代に憧れたふたりのレジェンド
2021年シーズンを最後に現役を退くことを表明しているヴァレンティーノ・ロッシ(ペトロナス・ヤマハ・セパン・レーシング・チーム)。
1996年、125ccクラスで世界GPにデビューして以来、計9回タイトル(MotoGPクラス:6回、500ccクラス:1回、250ccクラス:1回、125ccクラス:1回)を獲得し、世界中のファンから絶大な支持を得ているが、そんなロッシにも憧れのライダーが存在する。
ひとりは“ノリック”こと日本の阿部典史だ。
1994年の日本GPにワイルドカードで参戦し、いきなりトップ争いを演じた走りに衝撃を受け、現在も愛機YZR-M1の右サイドに“ろっしふみ がんばって!”と黄色い文字で書かれたステッカーを貼り、敬愛している。
そしてもうひとりは、トレードマークのゼッケン“34”が、MotoGPクラス初の永久欠番となったケビン・シュワンツだ。
アメリカ・テキサス出身のシュワンツは、持ち前のアグレッシブさ故にクラッシュが多く、チャンピオンに輝いたのは1993年の1回のみ。しかし、長い手足を巧みに扱い、2ストローク・500ccのモンスターマシンをロデオのように乗りこなす姿は、ロードレースファンを熱狂させた。
ヴァレンティーノ少年もそのライディングに魅了され、ミニバイク時代にはスズキのレジェンドがキャリア後半に被っていたデザインのレプリカヘルメットで走っていたが、今では互いに尊敬し合う“友達”だ。
シュワンツは出会った当時を振り返る。
「(ヘルメットデザイナーの)アルド・ドゥルディから僕のヘルメットを被った面白い子がいるから見てこいって言われたんだよ。そして実際に見て、彼が他の誰よりもはるかに速いことに気が付いた。その後、彼が世界GPにやって来て、僕らは素晴らしい友達になったんだ」
シュワンツからスペシャルヘルメットの贈り物
思ったようなリザルトを残せない“友達”に対し、“フライング・テキサン”は遠く離れた地からエールを贈っていたが、2019年以来となるアメリカズGPが地元テキサス州・オースティンで開催されるとあって、自身も建設に関わったサーキット・オブ・ジ・アメリカズのピットを訪れ、アライヘルメット製のスペシャルヘルメットをプレゼントした。
固い握手、ハグを交わしたあと、ヘルメットを手渡すとロッシは大喜び。シールドにサインを書き入れてもらうと満面の笑みを見せていた。
長きにわたり、“THE DOCTOR”が被るヘルメットのグラフィックデザインも手がけてきたドゥルディ・パフォーマンスによる、1993年にシュワンツが王座を獲得した時のデザインをベースにしたヘルメットの両サイドには、ロッシのパーソナルナンバーである”46”がイメージカラーの蛍光イエローで大きく入れられ、ヴァレ少年がヘルメットの上部にぬいぐるみを取り付けていた『ミュータント・タートルズ』のお気に入りキャラクター、“ミケランジェロ”が後頭部に勇ましく描かれている。
肝心の結果は、予選Q1最後のアタックで転倒を喫したこともあり、20番グリッドからのスタート。大多数のライダーがフロントにハード、リアにソフトを選択する中、ミディアムのリアで臨んだ決勝でも15位で1ポイントと目標とする200回目の最高峰クラス表彰台には大きく及ばなかったが、現在57歳のレジェンドはこう語る。
「ヴァレンティーノはこのスポーツにおいて、ファンとの関係に大きな影響を与えた。それだけでなく、自分のアカデミーからフランチェスコ・バニャイアやフランコ・モルビデリといった有望な若手ライダーを数多く輩出している。彼は常に最高でありたいと思っていて、アカデミーのライダーからも同じ精神を感じる。たとえ彼が来年パドックにおらず、スタンドにいたとしてもMotoGPを支配し続けると思う」。
【了】
Writer: 井出ナオト
ロードレース専門誌時代にMotoGP、鈴鹿8耐、全日本ロードレース選手権などを精力的に取材。エンターテインメント系フリーペーパーの編集等を経て、現在はフリーランスとして各種媒体に寄稿している。ハンドリングに感銘を受けたヤマハFZ750がバイクの評価基準で、現在はスズキGSX-R1000とベスパLX150を所有する。
Twitter:@naoto_ide