難攻不落!? 総石垣造りの「岡城」に大興奮! バイクで往く城跡巡り

少年時代を大分県竹田市で過ごした作曲家、滝廉太郎は、明治時代に廃城となった「岡城」をモデルに「荒城の月」を作曲しました。雄大さ、無常観に溢れ、難攻不落と呼ばれた強固な造りの山城は表情が豊かです。バイクで訪ねてみました。

石垣群が圧巻、これが難攻不落と謳われた堅城の跡……

 大分県竹田市、稲葉川と大野川に囲まれた山奥の断崖絶壁、この自然の要害を最大の武器とした「岡城」がありました。バイクを駐車場に停めて城を臨むと、早くも荘厳な石垣の姿が浮かびます。さすが「荒城の月」の舞台だけあり、到着して間もなく荘厳さや無常観など、様々な想いが去来しました。

岡城は大分県竹田市、奥豊後の山深い地にある。バイクで訪れた日は曇り空。石垣や紅葉とのコントラストが際立った

 入城料300円を払って散策します。登城口に至るまでに竹田市名産の竹細工店などがあり、和風の家屋は雰囲気も抜群。ちょうど紅葉のピークだったこともあり、真紅の紅葉が道を彩ります。

 まず最初にくぐるのが「大手門跡」です。城の正面玄関にあたる防御施設は迫力満点。現在は櫓は建っていませんが、残された土台の礎石だけでも相当な威圧感です。

 兄の源頼朝(みなもとよりとも)に追われた義経(よしつね)を迎えるため、1185年に緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)が築城したと言い伝えられる岡城はその後、豊後国(ぶんごのくに)守護、大友氏の一族である志賀氏の居城へ。1586年、薩摩の猛将、島津義弘の大群を退却させたことで「難攻不落の城」として知られるようになったそうです。志賀氏の失脚後、277年間は中川氏の居城となり、その中川氏による大改修で、総石垣の近世城郭へ発展したと言われています。

真紅の紅葉が地面を彩り、石垣とのコントラストに酔う。町民が荒廃を嘆き、1932年(昭和七年)に公園として植栽したのがきっかけだったとか

 さらに先へ進むと、広大な中川家の屋敷跡、政治の中心的機能を果たしたと言われる西の丸跡などが見えてきます。本丸までは、ほぼ直線の道が続き、施設関係者用の細い車道までありました。

 日頃、関東の北条氏などの山城を探索していると、防御のため屈曲した道を歩くことが多いのですが、この岡城にはそういった細々とした防御意識があまり感じられず、「攻められるもんなら攻めてみろ」と言わんばかりの、威風堂々とした姿がありました。その背景にはもちろん、壮大な石垣、絶壁など、「地形が最大の防御」であったことも関係しているのでしょう。城を散策すると城主の性格も分かるようで面白いです。

美しく切りそろえられた石垣。城内では様々な石の加工や積み方が見られる

 広大な本丸跡には、1593年、中川秀成(なかがわひでしげ)が入城した際に建立した「岡城天満神社」がありました。廃城後に荒れ果てた岡城は、樹木が茂り、石垣は壊れ、獣が徘徊する、まさに「荒城」だったようです。その後修復が繰り返され、1932年に桜や紅葉を植栽、1936年に国指定史跡となりました。

本丸には「岡城天満神社」が建立されている。かつては藩主の住まいである本丸御殿が建てられていた

 2016年にも大規模な改修があり、この美しい景観をいつでも楽しめるようになったようです。ARや音声ガイドも楽しめるので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

【了】

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