スズキにヤマハ、かつてはホンダも…静岡はなぜバイク大国?

世界をリードする日本のバイクメーカーですが、4大バイクメーカーと呼ばれるホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキのうち、カワサキをのぞく3社が静岡県浜松市と深く関連しています。そこにはどんな背景があるのでしょうか?

ホンダ、ヤマハ、スズキに加え、かつては30社以上のバイクメーカーがあった浜松

 ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキと、日本には世界を代表するバイクメーカーが多く存在しています。世界における日本のバイクメーカーのシェアは圧倒的であり、世界で販売されるバイクのうち、この4大メーカーが占める割合は30%を優に超えます。

 そんな日本の大手バイクメーカーですが、実はカワサキをのぞく3社が静岡県浜松市を創業の地としています。

 バイクと浜松市の歴史をひもといたとき、最も重要な人物となるのが本田宗一郎氏、つまり現在のホンダの創業者です。

昭和23年頃のホンダ山下工場
昭和23年頃のホンダ山下工場

 現在の浜松市天竜区に生まれた宗一郎氏は、戦後間もない1946年に本田技術研究所を、そしてその2年後の1948年に本田技研工業を設立します。その後、1953年に東京に移転するまで浜松を本社としていました。

1909年創業当時の鈴木式織機製作所の店舗
1909年創業当時の鈴木式織機製作所の店舗

 また、歴史の長さではスズキが群を抜いています。スズキが本格的にバイクの販売を始めたのは1952年のことですが、スズキ自体は戦前から織機メーカーとして知られていました。しかし、軽工業から重工業へと産業の中心が移り変わる中で、従来の織機の精算だけでは限界があると考えたスズキは、自動車、そしてバイクの開発に乗り出しました。

1959年ヤマハ技術研究所
1959年ヤマハ技術研究所

 楽器メーカーとして創業したヤマハが、バイクを手掛けるようになったのは1955年と、ホンダやスズキに比べると後発です。当初は、稼働の少なかった楽器工場の有効活用が目的であったとされていますが、「赤とんぼ」の愛称で知られる「YA-1」が爆発的なヒットを記録し、またたく間に大手バイクメーカーの仲間入りを果たしました。

1955年に発売されたヤマハ「YA-1」とヤマハ発動機の日高祥博社長
1955年に発売されたヤマハ「YA-1」とヤマハ発動機の日高祥博社長

 このように、創業の経緯や背景についてはそれぞれであるものの、どのメーカーも戦後間もない時期にバイクの生産・販売に乗り出していることがわかります。

 戦後の混乱を乗り越え、復興へ向けて動き出した企業の多くが新規事業に乗り出していた当時、既存の技術や設備を活用ができ、なおかつ世の中のニーズにマッチしたものとしてバイクは大きく注目されていました。

 そのため、当時の浜松では、上記の3大メーカー以外にも、「ライラック号」の丸正自動車製造、「ライナー号」の北川自動車工業、「サンキョウ号」の三協機械製作所など、現在は存在していない多くのバイクメーカーが登場していました。

1947年にホンダ初の市販製品として登場した「Honda A型」
1947年にホンダ初の市販製品として登場した「Honda A型」

 もちろん、浜松以外でもそうした動きが見られましたが、浜松では最盛期で30社以上のバイクメーカーが乱立していたといい、ほかの都市と比べてもまさに「メッカ」と言える場所となっていました。

 こうした歴史的背景から、浜松市では「バイクのふるさと浜松」と銘打ったさまざまな取り組みを行っており、浜松市の地域振興に役立てています。

浜松の人は起業家精神にあふれていた?

 では、なぜ浜松が「バイクのふるさと」になったのでしょうか?

「バイクのふるさと浜松」実行委員会の担当者は、浜松の地理的要因を理由に挙げます。

「浜松は一年を通して温暖な気候であり降雪も少ないという特徴があります。さらに、天竜川をはじめとした水資源も豊富であることから、綿花の栽培に適していました」

「その結果、浜松周辺では繊維産業が戦前から盛んであり、関連産業である工作機械産業なども含めて『ものづくり』の土壌が整っていたことが、戦後にバイクメーカーが多く登場した背景のひとつと思います」

『浜松市史』では、浜松で育っていた産業が「鉄を加工する技術を習得し、機械・設備も蓄積してきた」とし「これらの産業が先行産業となって、戦後の二輪車工業の爆発的拡大を生み出した」と分析されています。

スズキ自体は戦前から織機メーカーとして知られていました
スズキ自体は戦前から織機メーカーとして知られていました

 これらはまさにスズキやヤマハが良い例です。上述したように、スズキは織機の製造を、ヤマハは楽器の製造から派生しており、それぞれが行っていた既存の事業のノウハウが、バイクの製造へと役立てられたということのようです。

 一方、「バイクのふるさと浜松」実行委員会の担当者は、より精神的な面も背景にあるのではないかと指摘します。

「浜松には古くから『やらまいか』という文化が根付いています。『やらまいか』とは、現代的に言えば『チャレンジ精神』のようなもので、『とにかくやってみよう』というようなニュアンスの言葉です」

1960年スズキ本社工場で生産されるセルペット
1960年スズキ本社工場で生産されるセルペット

「この『やらまいか』という文化は、起業家にとって非常に重要なものです。浜松の地理的な特徴と、この『やらまいか』というスピリットが結びついたことが、現在の浜松が『バイクのふるさと』となっている大きな理由なのではないかと思います」

※ ※ ※

 現在の浜松およびその周辺には、多くの企業が工場などをかまえています。その主たる理由は、関東や関西への交通の便が良く、気候も温暖であることなどとされていますが、その根底には浜松で育まれてきた「ものづくり」の精神があるのかもしれません。

【画像】静岡県で発展したバイクメーカーの画像を見る(20枚)

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