美しすぎる「山中城跡」 まるでワッフルのような「障子堀」が凄かった バイクで往く城跡巡り
北条氏の卓越した築城技術が見られる「日本100名城」にも選ばれた「山中城」は、豊臣秀吉による猛攻でわずか半日で落城したと言われています。その遺構はいまでも威厳と輝きを放っているかのようでした。
ワッフル片手に遺構巡り、貴重な史跡であることがよく分かる
静岡県三島市にある「山中城(やまなかじょう)」は、小田原に本城を築いた北条氏が防備のために1560年代に築いたとされる城です。現在残されている数々の防御設備の跡は、1589年の豊臣秀吉による小田原征伐に備えたものですが、翌年3月に豊臣軍に包囲され、約17倍の大軍にはなすすべもなく、半日で落城したと伝えられています。

スーパーカブで「山中城跡」を訪れ、その遺構を散策しました。現地に設置された解説板によると、昭和48年に全ての曲輪(くるわ)の全面発掘を行い、その結果として戦国末期の北条流の築城技術が解明されたそうです。
山城でありながら、しっかりと飲料水の確保をするための用水池や井戸があったことや、曲輪同士の連絡道などに自然の地形を巧みに活かしていたことなど、高度な技術による設備をいまでも見て回ることができます。「石垣を使わない山城の最後の姿」とも呼ばれ、貴重な史跡であることが、一眼でわかります。

そして何と言っても「障子堀(しょうじぼり)」と呼ばれる、区画された独自の堀が有名です。障子の桟(さん)のような区画は、まるでワッフルのよう。ということで、ふもとの売店では「障子堀ワッフル」が販売されていたので、堀と一緒に撮影しました。
これほどまでに凝った作りの防御システムでありながら、わずか半日で落城とは意外な気がしました。通常、堀は敵の進路を妨げる意味で作られるものですが、この障子堀の畝の部分は、むしろ歩きやすくて侵入を許してしまったのではないか、とも思いました。

なぜこのような形状の堀にしたのか、色々と研究されているようですが、解説板には「中央の区画には水が湧き出しており、溜まった水は南北の堀へ排水する仕組みとなっている」と書かれていました。何よりも水の確保が大事な山城。水堀と用水池を兼ねた仕組みだったわけです。これで合点がいきました。

この美しい障子堀に目が奪われがちですが、その先にある「本丸堀」(ここも用水池の役割を持つ)、城全体を囲むように深く掘られた「北の丸堀」など見どころ満載です。天守櫓跡、兵糧庫跡、出陣の際に矢を射立て、勝敗を占ったとされる「矢立の杉」など、ゆっくり見て回るのも良いでしょう。