まるでバイクに乗っているような雰囲気に包まれるホンダ「S660」 ~木下隆之の、またがっちゃいましたVol.198~
レーシングドライバーの木下隆之さん(筆者)は、ホンダの軽スポーツカー「S660」に乗ると「まるでバイクのようだ」と言います。どういうことなのでしょうか?
クルマでありながら、まるでバイクのよう
僕(筆者:木下隆之)はあらためてホンダ「S660」をドライブしてみると、「これはもうバイクではないか」と確信するほどソロツーリングの雰囲気に包まれます。
「S660」はその名が示すように、排気量660ccのターボエンジンを搭載します。軽カーなのでボディはコンパクトであり(全長3395mm、全幅1475mm、全高1180mm)、小さなバスタブに座っているかのような感覚なのです。
最高出力は64psで加速力はそこそこですが、コーナリングは目が覚めるほど俊敏です。タイトなコーナーが連続する峠道の“下り”であれば、大排気量スポーツカーをカモることも可能かもしれません。
という刺激的なモデルなのですが、このクルマのエポックは、開発責任者のキャラクターにあります。
ホンダでは開発責任者をLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)と呼び、開発はもちろん企画から販売、プロモーションまでの全責任を背負います。一般的にはこれまで実績を積み重ねてきた大ベテランの中のエリートが担当します。開発に携わった人間にとって憧れのポジションです。そんなLPLに、当時若干22歳の若者が抜擢されました。それが椋本陵LPLです。
そのシンデレラストーリーを簡単に紹介しましょう。
椋本氏はデザイナーとして、車両のモックアップを担当していました。その頃、本田技術研究所創立50年を記念した社内コンテスト「新商品提案企画」がありました。そこに椋本氏が「こんな身近なスポーツカーがあればいいのになぁ」と提案したのが、軽スポーツカーだったのです。
その企画が当時の伊東社長の目に止まり、それが社内プロジェクトに格上げされ、さらには「開発責任者は君がやれ」となったそうです。椋本氏の企画が魅力的だったことに疑いはありませんが、若い力に可能性を与えたホンダの心意気も嬉しくなります。
一般的には、若者をターゲットにしたクルマも、おじさんが企画して開発しているのです。若者のハートに響かないのも納得です。だからこそ「S660」は話題をさらい、ホンダを象徴するスポーツカーに成長したのでしょう。
しかも「S660」は、冒頭で紹介したように、まるでバイクに乗っているかのような感覚なのです。コクピットはタイトで助手席のパッセンジャーとは肩と肩が触れそうです。これはまるでタンデムでツーリングしている気分です。
おそらく椋本氏は、バイクにも興味があったのではないか? と勝手に想像しています。
「S660」はミッドシップスポーツなので、エンジンはドライバーの背後に搭載されています。リアガラスは開放することができますが、それはエンジンのサウンドをドライバーに伝えるためなのです。排気音を騒音とするのがクルマであり、サウンドとするのがバイクであるならば、これはもうバイク感覚です。
荷室はミニマムです。2人乗りですが、大人2人の旅ではボストンバッグも積めません。走りを優先したと言うのだから、それもバイクの発想ですよね。
ホンダの傑作のひとつである「S660」ですが、度重なるホンダの断捨離によってカタログから消えてしまいました。これは過去の遺産なのです。だからなのでしょう。今では中古車市場で人気沸騰のようです。
Writer: 木下隆之
1960年5月5日生まれ。明治学院大学卒業後、出版社編集部勤務し独立。プロレーシングドライバーとして全日本選手権レースで優勝するなど国内外のトップカテゴリーで活躍。スーパー耐久レースでは5度のチャンピオン獲得。最多勝記録更新中。ニュルブルクリンク24時間レースでも優勝。自動車評論家としても活動。日本カーオブザイヤー選考委員。日本ボートオブザイヤー選考委員。