家康またしても人生最大のピンチ!? 「伊賀越え」で身を潜めた竹やぶをスーパーカブで訪れた
NHK大河ドラマ『どうする家康』では、松本潤さんが演じる徳川家康が数々の困難やピンチを乗り越える姿が描かれています。家康にとって人生最大のピンチだったとも言われている「伊賀越え」のスポットをスーパーカブで巡ります。
旅行気分から一転、決死の逃避行のはじまり
徳川家康の三大危機と言えば「三河一向一揆」(1563~1564年)、「三方ヶ原の戦い」(1573年)、そして「伊賀越え」(1582年)と言われています。織田信長が明智光秀の謀反で死に追いやられた「本能寺の変」は、信長の家臣である家康にとっても青天の霹靂と言える大事件でした。

と、その前に簡単に事件の背景を説明すると、「本能寺の変」の3カ月前の1582年3月に、信長と家康は武田勝頼を攻め滅ぼし、武田家を滅亡させています。宿敵の武田氏がいなくなったことで信長の天下統一への道はさらに切り開かれ、2人の武将は勢いに乗ります。
信長は家康への恩賞として駿河国(するがのくに:現在の静岡県中部)を与え、家康は感謝の意を伝えるために信長を接待します。上機嫌の信長は、今度は家康を自らの居城「安土城」へ招きます。そこでは3日間に渡る祝勝会が催されたと後世に伝えられています。
ここからが急展開。信長に京都や奈良、堺などの観光を勧められた家康は、少ない家臣と共に旅行へ。しかし6月21日(天正10年6月2日)未明、明智光秀の軍勢が、信長が宿所としていた京都の「本能寺」を襲い、燃え盛る炎の中で信長は自害したと伝えられています。

そんなクーデターが起きたことを知らない家康は、信長の上洛に合わせて堺から京都へ出発していました。その道中で、ドラマの中では中村勘九郎さんが演じる豪商、茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)が早馬で「本能寺の変」を知らせたのでした。
明智の軍勢は1万3000で家康一行は30名ほど。信長家臣の家康が三河に逃げようとするのを明智が黙って見逃すはずもなく、京都市内はもちろん、主だった街道は押さえています。
この時の家康の行動は「明智と戦う覚悟をした」「悲観して切腹しようとした」などと伝えられていますが、家康の本心は誰にもわかりません。

NHKの番組『英雄たちの選択』では、家康が切腹する騒ぎは本心ではなく、家臣の危機感を高め、結束させるためのアプローチだったのでは? という意見もあり、興味深いところです。
いずれにしても家康が優れた家臣に恵まれていたこと、商人の茶屋四郎次郎や、山田孝之さん演じる伊賀の服部半蔵など、人脈が豊富だったことも、この「伊賀越え」のピンチを切り抜けた要因のひとつかもしれません。
という背景を踏まえ、まずスーパーカブで訪れたのは、大阪府交野市星田にある神社「星田妙見宮(ほしだみょうけんぐう)」です。

隕石の落下地点、北斗七星が地上に落ちた「降星伝説」のパワースポットとしても知られていますが、深夜に訪れた家康が藪に潜んだ地でもあります。
村の長、平井氏に連絡したところ、信用のおける農民に道案内をさせたり、縁起の良い鶴の絵が描かれた大皿に沢山の握り飯を盛って提供するなど、家康を大いに助けたと言われています。家康は感謝の念を忘れず、後の時代も平井家を大事にしたそうです。