知ってる? 国内4大バイクメーカーがバイクを作り始めたルーツとは

国内の4大バイクメーカーといえば、ホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキですが、それぞれのルーツを知っていますか?この4メーカーには、最初からバイクの生産をしていたメーカーや、他業種から参入してきたメーカーなど、様々な歴史をもっています。そんな4メーカーがバイク作りを始めたきっかけを、まとめてみました。

雨後の筍のようにあった国内バイクメーカー

 国内のバイクメーカーといえば、ホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキの4社が代表的ですが、それぞれのルーツを知っていますか?

 最初からバイクメーカーとして誕生したメーカーもあれば、他業種からの参入してきたメーカーもあるなど、様々な歴史を持っています。

ヤマハが初めて販売したバイク「YA-1」とヤマハ発動機 日高 祥博 代表取締役社長
ヤマハが初めて販売したバイク「YA-1」とヤマハ発動機 日高 祥博 代表取締役社長

 国内バイクメーカーは現在ではホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキの4社となっていますが、戦前から昭和の半ばにかけては数えきれないほどのメーカーがありました。

 代表例として、メグロや陸王などは有名です。フレームなどを作ることができれば、エンジンは他社から買ってきて、そこに載せれば完成。需要もクルマは高嶺の花的存在な為、当時はバイクの方がニーズはありました。

 そのため、町工場的なところも続々と参入してきて、今で言うところのベンチャー企業的な存在のバイクメーカーが増殖。一時は200社以上あったとされており、その多くは藻屑と消えていきましたが、たとえばマツダはバイクから三輪トラック、そしてクルマメーカーへと見事に転身を果たし、現在に至ります。

 というように、多くのバイクメーカーは非常に厳しい競争をくぐり抜けて今があるのですが、ホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキはどういった経緯でバイクを手掛けるようになったのでしょうか。

 同4メーカーがバイク作りを始めたきっかけをご紹介します。

自転車に付けるエンジンから始まったホンダ

 そのルーツについて有名なのがホンダで、創業者の本田宗一郎氏は自動車修理工場の丁稚から独立し、敗戦直後の1946年に販売したのが自転車に付ける小さなエンジンで、これは戦時中に使われていた無線機発電用エンジンでした。

 しかし、そのエンジンには数に限りがあったために、エントツエンジンと呼ばれるものを自身で設計しましたが、ユニークな構造ゆえに挫折。

ホンダが初めて市販にこぎつけた「ホンダA型」
ホンダが初めて市販にこぎつけた「ホンダA型」

 一転してオーソドックスな2ストロークエンジンに変更し、1947年に市販化にこぎつけたのが、ホンダA型というエンジンでした。

 これを販売店が自転車に搭載する形で販売されましたが、補助エンジンとはいえクラッチや無段変速機能も付いたスクーターのようなもので、このスクーターが、ホンダがバイクメーカーとなった原点です。

 車体も含めた最初のモデルは1949年に登場したドリームD型です。

 ドリームは本田宗一郎氏らしい車名ながら、命名の理由は不明。D型は先のA型からの進化技を現わしており、技術的にもクラッチレスの半自動変速を採用するなど、意欲的なモデルでした。

スズキも実は自転車の補助エンジンがルーツ

 スズキは1909年、明治42年の創業。創業者は元大工の鈴木道雄で、当初は鈴木式織機製作所という社名でした。

 元々は木製の織機を作っていたのですが、それを金属製へと移行して耐久性が増したことから、需要は先細りすると予想して機械製造の技術を活かした分野への進出を考え始めたところ、当時最先端だった自動車産業に着目したという流れ。

スズキがバイクメーカーとなった初期に発売した「ダイヤモンドフリー号」
スズキがバイクメーカーとなった初期に発売した「ダイヤモンドフリー号」

 当初はクルマを購入して検討などしましたが、ノウハウ不足もあってホンダと同じように、自転車に付ける補助エンジンからスタート。1952年に発売したパワーフリー号が最初で、翌年にはダイヤモンドフリー号を発売し、ヒット作となりました。

 エンジン単体ではなく、車体すべてを手掛けたのが1954年に発売されたコレダ号COX型で、これがスズキ初のバイクとなります。ちなみに、これが日本で初めてスピードメーターが装備されたバイクです。

 スズキは1960年からマン島TTに参戦していましたが、これは当時の社長である鈴木俊三氏が、たまたま列車の中で本田宗一郎氏と出会い、「レースは面白いからスズキもやればいいよ」と誘われたのがきっかけとされています。

ヤマハのルーツは日本楽器製造

 ヤマハといえば、楽器も手掛けるメーカーですが、ヤマハ発動機の社名からわかるように厳密には、現在は別会社となっています。ただし、1955年までは同じひとつの会社で、バイクは日本楽器製造の二輪部門という扱いでした。

 バイクへの参入を決めたのは1953年のことで、木を使う楽器は大幅な増産を望めないことや、販売面でいつまでも楽ではないというのがきっかけです。

ヤマハが初めて販売したバイク「YA-1」
ヤマハが初めて販売したバイク「YA-1」

 初めてのバイクは会社が分離する半年前の1955年1月に発売されたYA-1で、ドイツのDKW「RT125」を参考にしたもの。赤茶色のボディ色は当時としては斬新で、赤トンボの愛称で親しまれました。同じ1955年には上級モデルのYB-1も発売され、こちらは高級感を出すために黒かったことから愛称は黒トンボ。

 YA1は1万km耐久テストを実施したり、発売同年の富士登山レースや浅間火山レースでもクラス優勝を含め、上位を独占するなどしたことから、ヒット作となりました。

造船がルーツのカワサキ

 カワサキのルーツは1878年に東京の築地に開設された川崎築地造船所で、会社として1896年に創立されました。その名前の通り、造船をメインに機関車や飛行機、橋なども手掛けており、社名も1939年には川崎重工へと変更。

カワサキがバイクメーカーとなった初期に発売した「B8」
カワサキがバイクメーカーとなった初期に発売した「B8」

 バイクへの参入は1953年のことでしたが、ホンダ、スズキと同様に、まずは自転車に付けるエンジンのKB-1型からスタート。そのほかにも、排気量違いで3機種ほど作っていたようです。

 その後は、明発工業という販売会社を設立したり、メグロと業務提携するなどしましたが、車体は設計してもらい、エンジンを供給する形をとっていました。

 1954年にスクーターの川崎号を自社開発しますが、売れずに失敗。本格的に設計から製造、販売までをカワサキで行なったのは、1961年のB7となります。

 その後、翌年に発売したB8がヒット作となり、現在に至ります。

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