「不沈艦」と言われたマシンと軍団を率いたホンダ 市販車「CB1100RB」にもその魂が注ぎ込まれた!! 

ホンダは、70年代後半に不沈艦と呼ばれたまマシン「RCB1000」でヨーロッパの耐久レースを席巻していました。レース規定(TT-F1)の変更に伴いマシンを「RS1000」へ変更します。その技術から生まれた市販スーパースポーツ「CB1100RB」は、80年代世界各地のサーキットでも活躍したモデルです。

圧倒的な力でヨーロッパ耐久レースへ参戦したホンダワークス車とは?

 ホンダ「CB1100RB」は、世界各国のプロダクションレースへ参戦できるモデルとして、1981年に誕生しました。CB900Fのエンジンを1062ccまで拡大し、耐久レースなどで活躍するRS1000から強化されたクランクシャフトや車体、足まわりなど全て手組みで生産されていたモデルです。

ホンダ「CB1100RB」(1981)

 世界GP撤退から9年後にホンダは、ワークス活動を再開します。再開の場に選んだのは、ヨーロッパで盛んに行われていた耐久レース。1975年11月ホンダは、HERT(ホンダ エンデュランス レーシング チーム)を結成し、本格的にレースに復帰します。

 耐久に使用するマシン「RCB」の開発期間は非常に短く、 CB750FOURのクランクケースをベースに排気量を拡大します。排気量拡大に伴いシリンダーやクランクケースの材料などを変更、さらに最高出力を上げるため排気系は集合菅集合管を採用しています。RCBはRacing CBの意味です。

 RCB1000は、1976年に参戦した耐久レースにおいて8戦中7勝、さらにヨーロッパ選手権も5戦全勝を達成し、参戦1年目にしてメーカー・ライダー両タイトルを獲得しています。RCB1000はその後の耐久レースにおいて連勝記録を伸ばして行きます。

「RCB1000」1976年ボルドール24時間 周回数762Lap J.C.シュマラン/A.ジョージ組

 3年間活躍したRCB1000の成績は26戦24勝、ヨーロッパ耐久選手権では3年にわたって無敗でした。耐久レースへの復活から活動していたHERTは、目的を遂げたとして解散します。そしてHRCの前身で市販レーシングマシンやキットパーツを開発し販売するRSCが設立されます。

 RCBが耐久レースを席巻する中、ヨーロッパでは1977年から、使用するエンジンを市販車ベースと定めたTT-F1選手権が開催されていました。RSCは拡大傾向の大排気量4ストロークレースを視野に入れ、CB900F/750Fのエンジンをベースに使うエンジンキットパーツとしてRS1000を開発します。1980年耐久レースは、ヨーロッパ選手権から世界選手権へ格上げされTT-F1マシン(ホンダはRS1000を使用)の使用が義務付けられます。

 RS1000レプリカとして1981年に発売された市販車のCB1100RBも、ボアストローク70×69mmの1062ccという排気量が設定されています。

CBX1000のカウルを流用し使用していた「CB1100RB」

 市販車スーパースポーツ「CB1100R」は、RB(1981・1050台販売)、RC(1982・1500台販売)、RD(1983・1500台販売)の3車種がヨーロッパとオーストラリアでホモロゲーション(量産車両対象競技に使用できる車両をメーカーが販売し団体が承認する)をクリアするために生産し販売されました。

 1981年に販売されたCB1100RBは、ノンカウルのRB-Iとハーフカウルを装着するRB-IIがありシングルシートが装備されています。社名に記載されたRは「レース」を表すもので、RS1000の技術を投入した限定生産市販スーパースポーツCB1100RBは、レース対応の高出力エンジン、車体、足まわりなどにより、世界各地のサーキットで大活躍します。

 また、CB1100Rは、販売当時日本で車重1kgに対し1万円と言われるほど高価な車両でもありました。

 ■諸元
 ・全長×全幅×全高:2215mm×770mm×1340mm
 ・エンジン:1062cc空冷4サイクル並列4気筒DOHC4バルブ
 ・車両重量:235kg
 ・フレーム形式:ダブルクレードルスチールパイプ

【了】

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