バイクの「ヤマハ」と楽器の「ヤマハ」ってどういう関係?別会社なのか?

バイクで有名な「ヤマハ発動機」と楽器で有名な「ヤマハ」は同じ名前ですが、現在では違う会社になっているといいます。では、どのような関係なのでしょうか。

ロゴにも微妙な違いが!?「ヤマハ」2社の関係は…

 音叉マークでおなじみのヤマハはホンダ、カワサキ、スズキと共に国内の4大バイクメーカーのひとつとして数えられます。しかしヤマハと聞いてバイクだけを思い浮かべる人はそう多くないでしょう。ピアノやギター、トランペットなど何かしらの楽器経験がある人であれば、楽器メーカーとしてヤマハという名前を耳にしたことがあるはずです。

音叉マークでおなじみのヤマハ、バイクと楽器の「ヤマハ」はどんな関係
音叉マークでおなじみのヤマハ、バイクと楽器の「ヤマハ」はどんな関係

 では、バイクの「ヤマハ」と楽器の「ヤマハ」は、どのような関係にあるのでしょうか。

 現在でこそバイクと楽器に別れているヤマハですが、かつては同じ会社でした。ヤマハの歴史は19世紀にまで遡ります。

創業者の山葉寅楠氏とオルガン組立工程
創業者の山葉寅楠氏とオルガン組立工程

 100年以上続くヤマハの歴史は、1887年に山葉寅楠という人物が小学校のオルガンを修理したというエピソードから始まります。その後、山葉は国内では初の本格的なオルガンの制作に取り組み、1897年には現在のヤマハ株式会社にあたる日本楽器製造株式会社を設立しました。なお、日本楽器がヤマハ株式会社に改称するのは1987年のことです。

 日本楽器は楽器製造で培った技術力を買われ、1921年には、木製プロペラを、1931年には金属製プロペラを製造するようになります。それだけでなく、そのプロペラ用の試作エンジンの制作や、ピアノフレームの鍛造も手がけていたため、バイク作りに必要な技術の基礎を兼ね備えていました。

第1回浅間高原レースのスタートの模様
第1回浅間高原レースのスタートの模様

 そして1950年に日本楽器の社長に就任した川上源一の決断により、バイク事業に進出することが決まりました。1954年には「赤トンボ」の愛称で親しまれる125ccのバイク「YA-1」を完成させます。YA-1の性能は凄まじく、1955年に開催された浅間火山レースでは125ccの表彰台を独占するほどでした。

 この浅間火山レースとほぼ同時期に、日本楽器からバイク部門が独立する形で、我々のよく知るヤマハ発動機株式会社が設立されました。ヤマハ発動機はその後順調に発展し、バイクだけでなくクルマのエンジンや、船外機、マリンジェットの製造、販売も手がけるようになります。

トヨタ「2000GT」のエンジンはヤマハが開発した
トヨタ「2000GT」のエンジンはヤマハが開発した

 往年の名車であるトヨタ「2000GT」のエンジンをヤマハが開発、供給したエピソードを知っている人は多いのではないでしょうか。その他にも、いくつかのトヨタ車やアメリカのフォードにもエンジンを提供しています。

 こうした経緯を見ればわかる通り、バイクの「ヤマハ」であるヤマハ発動機株式会社と、楽器の「ヤマハ」であるヤマハ株式会社は完全な別会社となっています。

両者のロゴもまったく同じ訳ではなく、微妙な違いが見られる(上:ヤマハ発動機 下:ヤマハ)
両者のロゴもまったく同じ訳ではなく、微妙な違いが見られる(上:ヤマハ発動機 下:ヤマハ)

 そのため、両者のロゴもまったく同じ訳ではなく、微妙な違いが見られます。ヤマハといえば音叉マークを円で囲んだロゴが有名ですが、ヤマハ発動機のロゴは音叉の先が円と被っており、コーポレートカラーは赤。ヤマハ株式会社のロゴは音叉が円の中に収まっており、コーポレートカラーはバイオレット、という違いがあります。

※ ※ ※

 ここまで見てきた通り、バイクの「ヤマハ」と楽器の「ヤマハ」は別会社です。しかしかつては同じ企業だったこともあり、現在でもTwo Yamahas, One Passionをスローガンにデザインの共同研究をしたり、ジャパンモビリティショーに共同出展したりと良好な関係を気づいているようです。

ジャパンモビリティショー2023には、ヤマハ発動機の日髙祥博社長とヤマハの中田卓也社長が登壇した
ジャパンモビリティショー2023には、ヤマハ発動機の日髙祥博社長とヤマハの中田卓也社長が登壇した

 ロングセラーモデルであったヤマハ「SR400」にはまるでアコースティックギターのようなサンバーストカラーのモデルがあったように、ヤマハのバイクからはさまざまな面で「楽器らしさ」を感じることができるでしょう。

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