まだ完成していない首都高? あの出口の先はどこへ行く?
全線でバイクの2人乗りが可能な首都高10号線。現在は晴海までですが、先に延ばす計画があり、そのつながる先は作りかけの雰囲気満載の都心環状線の“あの”出入口かもしれません。
道路にも未成線、首都高の都心部にもある?
鉄道路線では完成していない路線を「未成線」と呼びますが、道路にも完成させようとしていながらできてないところが多くあります。
なかでも首都高は分岐を想定した高架の出っ張りがあるところも存在しますし、謎のトンネルが続いてるところもあります。その中でも、まだできていない部分があるのは湾岸線東雲JCTから、豊洲・築地方面に伸びる路線、首都高10号線です。
首都高10号線から都心環状線C1への計画
首都高10号線は湾岸線から豊洲市場に向かうときや、晴海や築地エリアと湾岸線を結ぶ路線です。バイクの場合、銀座などに向かう際には全線で2人乗りが可能な10号線は重宝するのではないでしょうか。現在は非常に短い10号線ですが、東雲JCTから都心環状線新富町付近へつながる都市計画があります。
一方、都心環状線の新富町といえば、降りるときにこの先に路線ができそうと感じる出口で、先には使っていないトンネルとカーブが見え、どこに繋がるのかと考えてしまう人も多いはずです。
もし、首都高10号線が都心環状線につながるなら、現在の新富町出口になる可能性はあります。しかし、現在都市計画があるものの、事業主体も未定で、整備が進んでいない状態になっています。東京都が2019年3月に策定した「築地まちづくり方針」では、「都市高速道路晴海線の計画検討との整合を図りながら、将来の土地利用と合わせて検討する」こととなっています。
新富町出口の先の首都高が作ったものではない
その問題となる新富町出口の先は、現在、中央区の築地川公園となり、クルマと自転車の駐車場もあり、バーベキューやキャッチボール等の施設を有しています。築地川というだけあり、東京都建設局の河川表によれば、元々は隅田川から分流した川だったそうです。その多くは幾度となく埋め立てが行われ、大部分が首都高へ転用されています。そのためこの区間には多くの橋が存在しています。
そして、バーベキューなどの施設のある場所の下にはトンネルがあります。実はこのトンネルは東京都が作ったもので、首都高速が作ったものではありません。そこでいつ頃作られたのか中央区へ問い合わせをした回答がこちらです。
「1960年(昭和35年)に東京都が補助153号線の都市計画を決定し、1961(昭和36年)に補助153号線支線1号を追加しましたもので、その後事業認可を取得し、東京都が事業を開始しましたが地元調整等により供用開始が中止となり、1975年頃(昭和50年代の後半)に中央区に事業を移管し築造を進めました。しかし、都と同様に、供用を開始することができませんでした。(現在、補助153号線支線1号の都市計画は廃止されています)」
その後、1993年7月には新たな10号線を含む都市計画が発表されます。元が一般道の規格で作られているトンネルですので、そのまま首都高へ転用することは現実的でないとのことで、改修して利用するか別途作り直すことになるのかは、事業主体が決定していない現在では決まっていないという、複雑な経緯を持ち合わせた建造物になっています。
歴史ある首都高では、さまざまな遺構があります。走行中気になって、つい、わき見運転しないためにも、気になるものは運転を終えた後に調べることをおすすめします。歴史や経緯を知ることで、運転が楽しくなるばかりでなく、道路をよりよく覚えることができ、安全な走行につながるかもしれません。
【了】