37回もの年間タイトルをもたらせた史上最強のハーレー・レーサー 『XR750』とは

ハーレーダビッドソンのレース活動において欠かすことのできない存在が「XR750」です。いったいどのような功績を残してきたのでしょうか。

フラットトラックの世界で1972年から40年以上に渡り活躍したH-Dレーサー

 数あるハーレーダビッドソン(以下:H-D)の中で『レーシング・シーン』の象徴といえる一台……それを選ぶとしたら多くのマニアは『XR』の名を挙げるのではないでしょうか?

1957年に市販されていたXLスポーツスターのレーシングバージョン、XLRをショートストローク化し、レギュレーションに準じた排気量となった初代XRは1970年に登場

 1970年に初期型の『アイアンXR』が開発され、1972年にはオールアルミのツインキャブ・エンジンを搭載した新型が登場。アメリカのレース団体であるAMA(アメリカン
・モーターサイクリスト・アソシエーション)のシリーズ戦で現在に至るまで37回もチャンピオンの栄冠に輝いた過去を持つこのマシンは、その実績からも「世界で最も成功したレーシングバイク」といわれています。

 第二次世界大戦が終了した翌年の1946年『グランド・ナショナル・チャンピオンシップ(GNC)』としてスタートした全米のフラットトラック(ダートトラック)選手権ですが、初年度は英国車『ノートン』のChet Dykgraffが王者に輝いたものの、1947~1948年はハーレーの『WR』を駆るJimmy Channがタイトルを獲得し、1950年は同じくハーレーのLarry Headricksが勝利。

 しかし、その翌年からは三年連続で『インディアン』がタイトルを獲得。そんな『第一次H-D対インディアン』時代に開発されたハーレー・レーサーが『KR』です。ちなみにインディアンはタイトルを獲得した翌年に工場閉鎖、1959年には倒産の憂き目にあってしまいます。
 
 1952年に登場したこのマシンによって1954年にはハーレー・ワークスのJoe Leonardが王者となり、Brad AndresやCarroll Resweber、Bart MarkelやRoger Reimanなどの活躍により17年間で12度のタイトルを獲得しますが、1960年代後半からは米国市場でも人気を博していた英国車がレースの世界でも台頭。

 1967年からトライアンフのGary Nixonが2年連続でタイトルを獲得し、1969年にハーレーのMert Lawwillが頂点を奪還するものの1970年にはトライアンフのGene Romero、1971年はBSAのDick Mannがタイトルを獲得。砂上で繰り広げられた「米英戦争」の時代に対抗手段として開発されたのが『XR750』です。

順風満帆ではなかったXRの開発

 しかし、この『XR』も開発当初から順風満帆というわけではなく、初期型の『アイアンXR』時代では、ギアのトラブルや鉄製シリンダーヘッドゆえの熱問題、ヘビーな重量が起因となるコーナリングでの不利な状況が改善されず、苦戦を強いられ、英国車の牙城を崩すに至らなかったのですが、当時のハーレー・レーシングの責任者、Dick O’Brienがツインキャブの新型『XR』を開発。1972年にMark Brelsfordのライディングによってタイトルを奪還しています。

アルミ製のツインキャブヘッドとシリンダーを備えたXRは1972年に登場。ハーレーレーシングのディレクター、Dick O’Brienによる最高傑作といっても過言でないマシンです

 ちなみに1969年より「サイドバルブは750cc、OHVは500ccまで」というAMAのレギュレーションが変更され、エンジン形式に関わらず、750ccまでOKというルールになったのですが、1973年には後にアメリカ人として初の世界GPタイトルを獲得した天才ライダー、Kenny Robertsが出現。

 不利な排気量のヤマハ『XS650』にも関わらず、ヤマハに2年連続でタイトルをもたらせ、日本製バイク初の偉業を成し遂げたのですが、その侵攻も1975年にGary Scottの活躍によってH-Dがタイトルを奪還した後は1976~1978年まではアメリカで国民的ヒーローとなったJay Springsteenが3年連続で王者に君臨。
 
 既に工業製品として斜陽に差し掛かった英国車に変わり台頭してきた、高性能な『日本車』を相手に互角以上の戦いを見せた『XR750』がハーレーレーシング・マニアの心を熱くするのは今、思えば至極当然のことなのかもしれません。

ホンダの参戦でレース・シーンがヒートアップ

 その後、1980年代にはホンダがダートトラックシーンに参入し、1984年にはRicky Graham、1985年からは3年連続でBubba Shobertがタイトルを獲得。ホンダRS750DとハーレーXR750が火花を散らすことになります。しかし、1988~1999年まではハーレーのエース・ライダー、Scott Parkerが9回もの年間チャンピオンを獲得しました。

80年代後半から90年代にかけてハーレーワークスのエースとして君臨したScott Parkerは9回もの年間チャンピオンを獲得。間違いなくXRの黄金時代を築いたライダーの一人です

 1992年にはハーレーの同門であるChris Carr、93年にはホンダの Ricky Grahamにタイトルを明け渡しているのですが、過去の戦績から見ても1990年代は間違いなく『XR黄金期』といえるでしょう。ちなみに2000年代もChris Carrが1999年のタイトルを皮切りに2001~2005年まで5年連続でタイトルを獲得。
 
 1994年から王者となったScott Parkerや2000年に同じくハーレーのJoe Koppと併せると2016年のJared Meesに至るまで22年もの間、継続して『XR750』がチャンピオンに君臨しています。これが「世界で最も成功したレーシングマシン」と呼ばれる所以です。
 
 ハーレーダビッドソンといえばノンビリ走るクルーザーというイメージをお持ちの方も多いと思いますが、ダートトラックの世界において輝かしい戦績を残したマシンであることは、マニアなら忘れられない事実でしょう。

【了】

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Writer: 渡辺まこと(チョッパージャーナル編集長)

ハーレーや国産バイクなど、様々な車両をベースにアメリカン・テイストのカスタムを施した「CHOPPER」(チョッパー)をメインに扱う雑誌「CHOPPER Journal」(チョッパージャーナル)編集長。カスタム車に限らず、幅広いバイクに対して深い知識を持つベテラン編集者。

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