ハーレーの名車「XR1000」レース用バイク「ルシファーズハンマー」のテクノロジーを投影して開発された一台とは

大型のツーリングバイクを販売するイメージが強い米国の「ハーレー・ダビッドソン」ですが、じつはレースの世界においても好成績を残していました。このレースでの経験が活かされたモデル「XR1000」とはどのような存在だったのでしょうか。

レースの世界で活躍するハーレーダビッドソン

 広大なアメリカ大陸で生まれたクルージング・マシン……一般的に多くの人々が『ハーレー・ダビッドソン』(以下:H-D)というオートバイにこんなイメージを持たれていると思いますが、過去に当サイトでお伝えしたことがあるように『レース』というフィールドで活躍する実績を誇るメーカーであることも、語られるべき事実です。

1983年と1984年の二年間のみ、トータルで1800台に満たない生産台数という『XR1000』。ハーレーレーシングマニア垂涎のモデルです(写真提供:ハーレーダビッドソン・ジャパン)

 その中でも1970年代から2010年代にかけてAMA(アメリカン・モーターサイクリスト・アソシエーション/米国のレース団体)のダートトラック・シーンで活躍した『XR750』は、60年代後半には天才ライダー、ケニー・ロバーツ要するヤマハ、80年代から90年代にかけてはリッキー・グラハムやババ・ショバートが駆るホンダを向こうにまわし、タイトル争いを展開。

 一時期、ジャパニーズ・バイクに王座を明け渡したことがあったものの、94年から2016年までは22年もの間、チャンピオンに君臨していました。この実績が『世界で最も成功したレーシングマシン』と呼ばれる所以なのですが、そのテクノロジーを惜しげもなく投入し、市販化に踏み切られた忘れられないモデルが『XR1000』です。
 
 このようにダートトラックの世界で絶対的な実績を誇るH-Dですがロードレースの世界においても1967年に『KR-TT』を開発し、68~69年にはカル・レイボーンのライディングによってフロリダ州のデイトナ・スピードウェイで開催された米国を代表するレースである『デイトナ200』で優勝した過去を持つのですが、その後、復活の狼煙をあげるのが1983年に同サーキットで開催された『BOTT』。

『バトル・オブ・ザ・ツイン』と呼ばれるこのレースは『1000ccクラスの市販車・二気筒エンジンまで』というレギュレーションの元で開催されたのですが、まさにそこで闘うべくして生み出されたマシンが『XR1000』です。

 XR1000はホモロゲーション(レース出場の認証)をクリアすべく1983年に1018台、翌年には759台のみが出荷されたいわゆる限定モデルなのですが、こうした部分も『レーシング・ハーレー』マニアの心を熱くするポイントであることは間違いないでしょう。

優れたフレームありきで開発されたXR1000

 また『XR1000』といえばアイアン・スポーツスター(1957年から1986年まで生産された鋳鉄ヘッドのスポーツスター)エンジンの腰下に、レーシングマシン『XR』のヘッドを組み合わせたエンジンの存在がクローズアップされることが多いのですが、実際の開発は1983年から85年まで生産された『XLX61』のシャシーこそが開発の起点と呼べるものであり、この完成度の高さこそがH-D社の開発陣の心に火をつけたとのことです。

 それまでの『CR』タイプのフレームだと鋳鉄ラグとロウ付け、アーク溶接で構成されていたフレームが、プレス構造のガセットと全アーク溶接タイプとなったことにより剛性が向上。『CR』タイプだとフルパワーをかけると車体に『捻じれ』が生じたそうですが、この当時の新型フレームはそうしたネガティブな部分を解消されるに至ったということです。
 
 この通称『EVO』タイプのフレームは2003年にスポーツスターがラバーマウント化されるまで20年に渡り採用され続けるのですが、それはすなわち完成度の高さを物語っているといっていいかもしれません。

レーシングキットの装着で90psを発揮

 さらにエンジンにしても『XR1000』は単純に『750』のヘッドを搭載したというワケではなく『750』の79.5mmボアから81mmに拡大されたことに対応してバルブは1mmオーバーサイズを採用。インテークで45mm、エキゾーストで38mmとなっています。

デロルト製キャブをデュアルで装着するXR1000はボア81mm×ストローク96.8mm。圧縮比9:1で70ps、レーシングキットの装着で90ps、ワークス仕様で100~104psのパワーを発揮します(写真提供:ハーレーダビッドソン・ジャパン)

 このヘッドはウィスコンシン州ミルウォーキーのH-D社で基本的な機械加工が施された後、カリフォルニアのチューナー、ジェリー・ブランチのもとに送られ、最終的なポート形状などが仕上げられています。
 
 加えてピストンやコンロッド、シリンダーなども『アイアンスポーツ』とは別物で、スペック上では70ps/5600rpmを発揮。レーシングキットの装着で90psに到達。これは同年に販売された『XLX61』の最高出力56psと比較すると性能の違いは明らかです。
 
 その『XR1000』と同時に開発されたBOTTレーサーは『ルシファーズ・ハンマー』と名付けられ、1983年3月にH-Dワークスライダーのレジェンド、ジェイ・スプリングスティーンのライディングによってデビューウィンを記録。

 ダートトラックとの並走が難しくなったジェイに代わり、その後はライダーをデイブ・エムデ、ハーレーのセミワークス的立場にあるディーラー、ティリー・ハーレーダビッドソンのジーン・チャーチに交代。そのチャーチによっても84年、85年、86年とBOTTで3連覇を飾り、H-Dの実力を見せつけるに至っています。
 
「ある村を制圧した侵略者たちの蛮行に怒った魔王、ルシファーが鉄槌を下すべく彗星を落とした」というアイルランドの伝説にちなみ、イタリアン・バイクやジャパニーズバイクの侵略に対抗すべく名付けられた『ルシファーズハンマー』というハーレー・レーサーと、そのテクノロジーを注ぎ、2年間のみ生産された『XR1000』という市販モデル。これらがハーレーマニアの心を今もなお、熱くするのは至極当然のことかもしれません。

【了】

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Writer: 渡辺まこと(チョッパージャーナル編集長)

ハーレーや国産バイクなど、様々な車両をベースにアメリカン・テイストのカスタムを施した「CHOPPER」(チョッパー)をメインに扱う雑誌「CHOPPER Journal」(チョッパージャーナル)編集長。カスタム車に限らず、幅広いバイクに対して深い知識を持つベテラン編集者。

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