家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 乱世を駆け抜けた魂は、駿河湾を見下ろす「久能山東照宮」へ

NHK大河ドラマ『どうする家康』では、戦国時代の乱世を駆け抜け、生涯をかけて天下泰平の世を目指した徳川家康の人生が描かれました。死後は家康の遺言通りに「久能山東照宮」に遺体が安置されました。静岡の聖地として知られる「久能山」へ、スーパーカブで訪れました。

戦乱の世に終止符を打ち、「泰平の世」を築く

 波乱に満ちた家康公の生涯の要所をスーパーカブで巡る旅も、今回で終焉を迎えます。NHK大河ドラマ『どうする家康』と同様、約1年の期間をかけて各地を巡ってきましたが、家康の決断や苦悩、家臣との結束の強さ、戦の敗者との向き合い方や、組織力を強めていく手腕、犠牲となって散っていった仲間たちの姿など、史跡を巡ることで感じることが多数ありました。

スーパーカブで「久能山東照宮」へ。参拝は、この高さ6.5mの石鳥居から始まる。大正4年に奉納された
スーパーカブで「久能山東照宮」へ。参拝は、この高さ6.5mの石鳥居から始まる。大正4年に奉納された

 家康公は1616年4月17日、「駿府城」で75年の生涯を終えました。その遺言には次のようにありました。

・遺骸を「久能山」に埋葬する
・顔を西に向け、座した状態で埋葬する
・葬式は江戸の「増上寺」で行なう
・徳川家の菩提寺、「大樹寺」に位牌を立てる
・一周忌ののちに、日光に小さなお堂を建て、そちらに移す

「久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)」の麓には有料の駐車場があり、無料のバイク・自転車用駐輪場もあるので、そちらにスーパーカブを停めて参詣することにしました。

表参道を登りながら冬の紺碧の空と駿河湾を望む。約1年をかけて家康公の生涯の要となる地をバイクで巡った記憶を呼び起こしながら石段を進んだ
表参道を登りながら冬の紺碧の空と駿河湾を望む。約1年をかけて家康公の生涯の要となる地をバイクで巡った記憶を呼び起こしながら石段を進んだ

 日本平からロープウェイで登る方法もありますが、やはりここは、麓の石鳥居から1159段の表参道を登ることにしました。冬の海風は冷たく、時々立ち止まって碧く光る海と空を眺めながら息を整え、一歩ずつ上がっていきます。

 この「久能山」は、元々は寺が建っていましたが、急峻な要害の地でもあります。戦国時代に駿河に侵攻した武田信玄がそこに目をつけ、「久能山城」として城郭整備しました。そう楽には登らせてくれません。

 ようやく登りきったところに「久能山東照宮博物館」があるので、まず先にこちらを見学することにしました。撮影禁止のため写真はありませんが、家康が日常的に愛用していた小さな炭火鉢や肘掛けなど、どれもが見惚れるほど美しい逸品ばかり。刀、鎧、スペイン国王が家康に寄贈した洋時計(海難救助のお礼)などのほか、歴代将軍が使用していた物もあり、見所が盛り沢山です。

 中でも驚いたのが、どの将軍の物かは記載されていませんでしたが、江戸時代、普段着や鷹狩りなどの際に着用する服のデザインです。絶妙な青系の服で、内側の朱色系の布地が差し色となっています。まるで最新のアウトドアアウタージャケットのような、お洒落な色彩感覚にしばし見惚れてしまいました。

「権現造」という様式で造られた国宝の「御社殿」は、その後全国で創建された東照宮の原型となった最古のもの。内部の装飾は祈祷や結婚式など特別な参拝時にのみ拝むことができる
「権現造」という様式で造られた国宝の「御社殿」は、その後全国で創建された東照宮の原型となった最古のもの。内部の装飾は祈祷や結婚式など特別な参拝時にのみ拝むことができる

 さて、いよいよ参詣です。重要文化財とされている朱色の大きな「楼門(ろうもん)」から始まり、「鼓楼(ころう)」、「唐門」などの色彩鮮やかな建築物は、心を落ち着かせるというより華やかにさせてくれます。

 そして国宝の「御社殿」へ。家康を祀る「本殿」と、参拝をするための「拝殿」を「石の間」で連結した「権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれる様式によるもので、これが東照宮の原型だそうです。「日光東照宮」も、この権現造として知られています。

 参拝した後は「廟所参道(びょうしょさんどう)」を通ると、家康の遺骸を埋葬した「神廟(しんびょう)」へたどり着きます。華美な装飾から一転して厳かな雰囲気があり、自然と気持ちも神妙になります。

家康の遺命により、西向きとされた「神廟」に遺骸を埋葬。西には菩提寺である「大樹寺」、生誕地の「岡崎城」、そして両親が子授け祈願した「鳳来寺」がある。そしてその先には京の都があり、西へ睨みを効かせているという説もある
家康の遺命により、西向きとされた「神廟」に遺骸を埋葬。西には菩提寺である「大樹寺」、生誕地の「岡崎城」、そして両親が子授け祈願した「鳳来寺」がある。そしてその先には京の都があり、西へ睨みを効かせているという説もある

「神廟」は元々は木造だったそうですが、三代将軍家光により、現在の石造宝塔に作り替えられたそうです。

 そしてこの家光、『どうする家康』の最終回でも、絵を巧みに描き家康を慕う幼少時の姿が描かれていました。可愛らしい猿の絵が前述の博物館に展示されていて、微笑ましく感じました。「日光東照宮」の建立など、家康のために尽力したことが伺えました。

 参詣の帰り道も、石段を使って降ります。往路と同じく、陽の光に照らされる眩しいほどの紺碧が、視界に飛び込んできました。

【画像】家康公が祀られた「久能山東照宮」を画像で詳しく見る(14枚)

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