織田信長決死の撤退!! 置き去りにされた「金ヶ崎の退き口」とは? 家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 「金ヶ崎城跡」にある解説板には、2度にわたる激しい戦の模様が記されていた。1度目は南北朝時代(1336~1337年)、2度目は家康の時代で、1570年の「金ヶ崎の退き口」の舞台となった 浅井長政の妻であり信長の妹の「お市」は、信長に危機を知らせるため、両端を紐で結んだ小豆袋を送ったという。信長は袋の中に閉じ込められた小豆(信長の好物)を見て、朝倉と浅井の挟撃を知らせようとした意図を汲み取った。史実かどうかは不明だが逸話としては面白い 解説版には、殿を務めた藤吉郎(秀吉)を救ったのが家康で、秀吉はこの恩を忘れず、16年後の1586年、家康の上洛で謝意を表し、また秀吉の死の間際に「(息子の)秀頼を頼む」と言われるほどに信頼度を高めた戦だったと記されている 「金ヶ崎城」は、令和二年に大ヒットしたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも明智光秀を主人公に、この退却のドラマが描かれた 「金ヶ崎城」の周囲や「国吉城」のほか、この後に起きた「姉川の戦い」を含めた地図があり、地理的な理解を深めてくれた 「金ヶ崎城」の周囲や「国吉城」のほか、この後に起きた「姉川の戦い」を含めた地図があり、地理的な理解を深めてくれた 「金ヶ崎城」の周囲や「国吉城」のほか、この後に起きた「姉川の戦い」を含めた地図があり、地理的な理解を深めてくれた 南北朝時代に「金ヶ崎城」に籠城して自害した尊良親王の墓所と見られる地。自刃で果てた親王をはじめ300名ほどの武将が亡くなったとされている 「金ヶ崎城跡」の本丸近くに円墳の古墳跡が残されている。竪穴式石室には副葬品として刀などが出土したという。つまり曲輪としては機能しておらず、朝倉氏にとっても軍事施設としては機能させていなかったのだろう 「金ヶ崎城跡」の本丸近くに円墳の古墳跡が残されている。竪穴式石室には副葬品として刀などが出土したという。つまり曲輪としては機能しておらず、朝倉氏にとっても軍事施設としては機能させていなかったのだろう 「金ヶ崎城」の本丸。ここにとどまったところで勝機は見えない。秀吉も家康もさらに10kmほど先の「国吉城」へ逃げていくことになる 「金ヶ崎城跡」には南北朝時代の本丸とされている通称「月見御殿」と呼ばれる場所がある 少し足を伸ばして敦賀の「日本海さかな街」で昼食を。新鮮な魚介類のお土産も購入することができる 「金ヶ崎城跡」の入り口には駐車場が完備されている。解説板の前で撮影後にバイクを移動。ここから徒歩で登城した 天然の要害だった「金ヶ崎城」は、現在は一部が埋め立てられているが、かつて三方を海で囲まれていた 南北朝時代、「金ヶ崎城」に籠城して自害した尊良親王の墓所と見られる地。自刃で果てた親王をはじめ300名ほどの武将が亡くなったとされている 「金ヶ崎城跡」の通称「月見御殿」と呼ばれる断崖上からの眺め。現在は埋め立てられて工場が見えるが、それでもフェリーの航行などを眺めてゆったりとした気分になる 関連記事 革新のハイグリップタイヤ「RS12」を徹底テスト! (PR)BRIDGESTONE 「バイク事故は必ず防げる!!」 クイーンスターズ白バイ隊員が明かす“危険回避の3原則”とは? 鎌倉『定食屋しゃもじ』 おニューのヘルメットにご機嫌プチツーリングで遅めのランチを堪能!! 美味しいアジフライを求めて走る旅 壮絶な兵糧攻め「三木の干し殺し」とは!? 23歳で自分の命と引き換えに民を守った武将の歌 『豊臣兄弟!』ゆかりの地をバイクで巡る旅 速度を抑え、テクニックを競う!! 安全確保と速度管理にも活用? 「シケイン」とは? この画像の記事を読む 革新のハイグリップタイヤ「RS12」を徹底テスト! バイク不足で高騰中!愛車の相場を調べてみる>> 画像ギャラリー