人生の節目を過ごした「駿府城」のいま 家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅

園内には「駿府城」についての解説板がいくつか設置されている。「家康の死後、五層七階の天守が1635年に消失し、設計図が残されていないため、その姿は謎に包まれている」とのこと
園内には「駿府城」についての解説板がいくつか設置されている。「家康の死後、五層七階の天守が1635年に消失し、設計図が残されていないため、その姿は謎に包まれている」とのこと
「東御門」をくぐるとそこは枡形で、随所に「狭間(さま)」がある。これは櫓、塀などの壁の内側から矢や鉄砲で攻撃するための小窓
「東御門」をくぐるとそこは枡形で、随所に「狭間(さま)」がある。これは櫓、塀などの壁の内側から矢や鉄砲で攻撃するための小窓
「二の丸」の東に位置する「東御門」は、主に重心たちの主要な出入り口として機能していたようだ。1634年に天守閣と共に消失したが、1638年に再建している
静岡県指定天然記念物とされている「家康手植のミカン」。隠居した家康が本丸に移植したミカンと伝えられており、現在も花を咲かせる
現地を訪れたときは「駿府城夏まつり」が開催され、多くの屋台が出店していた
屋台の中には家康にちなんだ「竹千代かすてら」も
駿府城堀沿いにある地下式の駐輪場は自転車と原付が利用可能。スーパーカブはここへ格納して散策した
駿府城堀沿いにある地下式の駐輪場は自転車と原付が利用可能。スーパーカブはここへ格納して散策した
「二の丸」の東南の角にある「巽櫓(たつみやぐら)」の前にて。その先には1996年に復元された「東御門」がある。バイクは近隣の原付駐輪場へ停めて散策した
「二の丸」の東に位置する「東御門」は、主に重心たちの主要な出入り口として機能していたようだ。1634年に天守閣と共に消失したが、1638年に再建している
「天守台」は現在も発掘調査中。見学ゾーンも設けられ公開されている。2016年から2020年にかけて掘削による調査が行なわれ、現在は出土した遺物の整理などが行なわれているようだ
大御所時代の家康像は、鷹狩り用の鷹を手に掲げ、凛とした出で立ち。こう言ってはなんだが、どこか可愛らしくもあり、相当健康な老人であったことが想像できる

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