北条の巨大な山城「滝山城跡」は想像以上に堅固な要塞だった バイクで往く城跡巡り

「滝山城跡」の入口近くは民家が建ち並ぶが、大きな看板や石碑があるので分かりやすかった
「滝山城跡」の入口近くは民家が建ち並ぶが、大きな看板や石碑があるので分かりやすかった
現在は「都立滝山公園」として整備されて、解説も詳しく書かれている。1569年に武田信玄が「小田原城」を攻略する途中で「滝山城」が攻められたが、落城はしなかった。1582年から新城「八王子城」が築城され、数年後そちらに移ったと言われる
「天野坂(あまのざか)」と呼ばれる道を進んでいくと、「曲輪(くるわ=平場)」と「三の丸」の間に「枡形虎口(ますがたこぐち)」と呼ばれる出入り口が設けられている。「三の丸」自体も三方を深い空堀で囲まれていて、堅牢な守りであったことが想像される
家臣の屋敷があったとされる「小宮曲輪(こみやくるわ)」は、北条氏照の家臣、小宮氏の屋敷だと想定される。残念ながら訪れた際はナラ枯れのため倒木の恐れなどがあり、奥まで歩いていくことができなかった
家臣の屋敷があったとされる「小宮曲輪(こみやくるわ)」は、北条氏照の家臣、小宮氏の屋敷だと想定される。残念ながら訪れた際はナラ枯れのため倒木の恐れなどがあり、奥まで歩いていくことができなかった
城内のマップが用意されていて、とても親切。要所でARアプリポイントがあり、スマホで調べることができる
城内のマップが用意されていて、とても親切。要所でARアプリポイントがあり、スマホで調べることができる
「コの字型土橋」は、道をわざと狭くして方向転換させることで、側面からの攻撃を容易にするための防御機構。道がくねくね曲がっているということは、それだけ様々な方向から狙われやすいということだ
「コの字型土橋」は、道をわざと狭くして方向転換させることで、側面からの攻撃を容易にするための防御機構。道がくねくね曲がっているということは、それだけ様々な方向から狙われやすいということだ
「千畳敷」の東側には「二の丸」を守る兵馬が控える「角馬出し(かどうまだし)」がある。堅固な守りと同時に攻撃体制が整いやすい機構だ
風情を楽しむための「弁天池」の跡もあった。小舟を浮かべて宴を楽しむような池だったと考えられている
見事な「空堀」を眺めながら歩き進めていたら、解説板を見て驚いた。「行き止まりの曲輪」(ふくろのねずみ)の仕掛けだったのだ
「滝山城」の最奥にある「本丸」は、城主が住んでいた場所と考えられている。北条氏照が改修した「滝山城」だが、この本丸は1521年に大石定重(おおいしさだしげ)という武蔵野国守護代の時代の名残だとか
「滝山城」の最奥にある「本丸」は、城主が住んでいた場所と考えられている。北条氏照が改修した「滝山城」だが、この本丸は1521年に大石定重(おおいしさだしげ)という武蔵野国守護代の時代の名残だとか
「本丸」へ架かる「木橋(きばし)」が美しい。人工的に掘られた「堀切(ほりきり)」の上に架かっており、最終的な砦へ導くための橋だったようだ
「本丸」へ架かる「木橋(きばし)」が美しい。人工的に掘られた「堀切(ほりきり)」の上に架かっており、最終的な砦へ導くための橋だったようだ
バイクで東京都八王子市の「滝山城跡」へ。入り口から少し歩いたところに無料駐車場があるので、そちらにバイクを停めてから散策した
「天野坂(あまのざか)」と呼ばれる道を進んでいくと、「曲輪(くるわ=平場)」と「三の丸」の間に「枡形虎口(ますがたこぐち)」と呼ばれる出入り口が設けられている。「三の丸」自体も三方を深い空堀で囲まれていて、堅牢な守りであったことが想像される
見事な「空堀」を眺めながら歩き進めていたら、解説板を見て驚いた。「行き止まりの曲輪」(ふくろのねずみ)の仕掛けだった
「滝山城跡」の中でもっとも広い平場が「千畳敷(せんじょうじき)」。城下の民の陳情を聞いたり年貢を納めるための役場的な施設があったと想定されている

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