『鎌倉殿の13人』ゆかりの地 三浦一族の「怒田城」は縄文時代の貝塚だった!? バイクで往く城跡巡り
2022年1月からスタートするNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、平家を打倒し成立した鎌倉幕府の最高指導者「北条義時(ほうじょうよしとき)」を主人公とした作品です。鎌倉幕府を立ち上げるために奔走した、数々の武士にゆかりのある山城の多くが各地に残されています。滅亡の道を歩んだ三浦一族の「怒田城(ぬたじょう)」跡を訪れました。
縄文時代から戦国時代まで、人々の生活があった興味深い小山
2022年からスタートするNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、平家を打倒し成立した鎌倉幕府の最高指導者「北条義時(ほうじょうよしとき)」を主人公とした作品です。鎌倉幕府を立ち上げるために奔走した、数々の武士にゆかりのある山城の多くが各地に残されています。神奈川県横須賀市にある「怒田城(ぬたじょう)」跡をバイクで訪れました。

89歳という高齢になってもなお、一族を率いる名将として最後まで戦った三浦義明(みうらよしあき)ですが、その三浦一族を代表する城が「衣笠城(きぬがさじょう)」です。そしてその支城と言われている「怒田城」は、「衣笠城」からバイクで15分ほど走ったところにありました。
この辺りは「舟倉(ふなぐら)」という地名があり、すぐ近くを「平作川(ひらさくがわ)」が流れています。かつては海に面していたとも言われ、船をつける場もあったのだと思われます。

「怒田城跡」は民家の脇にある小山にあり、それは唐突に現れました。小高く急峻な崖を持つ山は、まさに山城に適していたのでしょう。ですが、この地の歴史はそれだけではありませんでした。入口近くの看板を読むと、ここは「吉井貝塚」として発掘調査が行われており、縄文時代早期(約8000年前)から古墳時代後期(約1400年前)までの石器、土器、住居跡などが出土したそうです。
ここを「怒田城」として構築した正確な時代は明らかにされていないようですが、1992年の発掘調査で土橋が出現し、台地自体が城であったことが判明したようです。平安時代末期に「山城を作る絶好の地」として目をつけたのが三浦一族でした。
早速歩いて山道を登りますが、全て舗装されている上に距離も短く、すぐに頂上にたどり着くことができました。山城としてはあっけなく感じますが、反対側は急峻な崖でフェンスが設置され、眼下には京急久里浜線が見えます。当時は海にも面していたとも言われ、やはり守りに適した山城だったようです。

貝塚自体は2つに分けられており、その間を1.7mから3mの高さになる「空堀」が備えられていました。貝塚を改良して作られたというこの山城は、古代人から武士に到るまで、その時代の知恵が巡らされているようで、なかなか興味深いものがありました。
ちなみに三浦義明は自害して「衣笠城」は落城しました。和田義盛(わだよしもり)という人物がこの要害の地である「怒田城」での籠城戦を進言したものの、義明に受け入れられなかったようです。もしも三浦一族がここで籠城していたら、歴史はどうなっていたのでしょうか?

また、「衣笠城址」の近くには「三浦大介腹切の松(腹切り松公園)」もあります。ここは「衣笠城」を逃れた三浦義明(仮名:大介)が切腹した地として、児童公園になった今でも松の木が大切に保存されています。物騒な名前ではありますが、地元の人たちの敬愛も感じられる、そんな土地だと思える今回のバイク旅でした。