家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 武田軍に惨敗した「三方ヶ原の戦い」の舞台へ

「清瀧寺」の目の前には「本田宗一郎ものづくり伝承館」がある。家康公ゆかりの地を巡りながら、同時にホンダの歴史を感じることもできる
「清龍寺」の麓には「二俣諏訪神社」がある。寺、神社が集まっているのは日本らしい光景と思えた
「清瀧寺」に復元された「二俣城」の井戸櫓。武田はこの櫓を筏で破壊することで、城の水路を絶ったと伝えられている
「清瀧寺」には、織田信長の命令で切腹させられた家康の嫡男、信康の墓があるほか、三方原で亡くなった徳川軍も葬られている
「三方原古戦場」には武田軍と徳川軍の進行や、対峙した地図などが解説されている。武田軍の進軍には諸説あるが、NHK大河ドラマ「どうする家康」の時代考証人、平山優氏は著書の中で「武田軍が浜名湖の堀江城へ進路を変更したことが大きく影響していた」と記している
「三方ヶ原の戦い」とは直接関係ないが、寺の近隣に「金の生る木の伝」の看板を発見。「なにごともほどどに 慈悲深く 正直に」を守れば必ず金持ちになれると、家康が雑用役に教えたという
「三方ヶ原の戦い」とは直接関係ないが、寺の近隣に「金の生る木の伝」の看板を発見。「なにごともほどどに 慈悲深く 正直に」を守れば必ず金持ちになれると、家康が雑用役に教えたという
「三方原古戦場」には武田軍と徳川軍の進行や、対峙した地図などが解説されている。武田軍の進軍には諸説あるが、NHK大河ドラマ「どうする家康」の時代考証人、平山優氏は著書の中で「武田軍が浜名湖の堀江城へ進路を変更したことが大きく影響していた」と記している
「三方原古戦場」に設置された案内板には、武田軍と徳川軍の進行や対峙した位置などが解説されていてイメージしやすい
「三方原古戦場」からバイクで30分ほど走ったところにある「清瀧寺」には、「二俣城」の井戸櫓が復元されている。武田はこの櫓を筏で破壊することで、城の水路を絶ったと伝えられている
「清瀧寺」には、織田信長の命令で切腹させられた家康の嫡男、信康の墓があるほか、三方ヶ原で亡くなった徳川軍も葬られている

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