豊臣から徳川へ 時代と共に生き続ける「大坂城」のいま 家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅

バイク駐輪場から、壮大な内堀と石垣を眺めながら天守閣に向かって歩く。南側を除いて水堀となっており、石垣は徳川幕府の命によるもの。東側の石垣の高さは水面から約24mという、超巨大なものだ
バイク駐輪場から、壮大な内堀と石垣を眺めながら天守閣に向かって歩く。南側を除いて水堀となっており、石垣は徳川幕府の命によるもの。東側の石垣の高さは水面から約24mという、超巨大なものだ
1615年「大坂夏の陣」で滅亡した豊臣家。秀頼とその母、淀殿らが「山里丸(やまざとまる)」の櫓に潜み、自害したと伝えられている。1997年に大阪市の手により記念碑が建てられたそうだ
本丸内、天守北側の一段低い区域は「山里丸」と呼び、松林、桜、藤が咲き、茶室も建っていた。秀吉はここで茶室のお披露目を行なったとも伝えられている
第2次世界大戦終戦前日の1945年8月14日、米軍の「大阪城」への爆撃の被害跡が今でも残っている。石垣のずれによる崩れもなく、強固であることを証明したが、昭和39年にひずみの進行を止めるための工事が行われている
第2次世界大戦終戦前日の1945年8月14日、米軍の「大阪城」への爆撃の被害跡が今でも残っている。石垣のずれによる崩れもなく、強固であることを証明したが、昭和39年にひずみの進行を止めるための工事が行われている
80個を超える石材が集めれられた「刻印石広場」には、石垣の石材として運ばれてきたが、未使用のまま放置されたものや、石垣修理で撤去されたものなどをゾーン分けして展示
80個を超える石材が集めれられた「刻印石広場」には、石垣の石材として運ばれてきたが、未使用のまま放置されたものや、石垣修理で撤去されたものなどをゾーン分けして展示
80個を超える石材が集めれられた「刻印石広場」には、石垣の石材として運ばれてきたが、未使用のまま放置されたものや、石垣修理で撤去されたものなどをゾーン分けして展示
80個を超える石材が集めれられた「刻印石広場」には、石垣の石材として運ばれてきたが、未使用のまま放置されたものや、石垣修理で撤去されたものなどをゾーン分けして展示
刻印の種類も記載されていた。西国の大名による普請の証が刻まれている
現代に残る雄大な「大阪城」を下から見上げると、徳川の武威をも感じる。地中に埋まっている豊臣時代の黄金輝く天守も見てみたい
「極楽橋」は「大坂夏の陣」と幕末の戊辰戦争で焼失したが、いずれも架け直されている
24時間出入り可能で無料の「森ノ宮バイク駐輪場」に停めてから散策した
「極楽橋」を渡ると見えてくるのが「山里口門跡」。「切込接ぎ(きりこみはぎ)」と呼ばれる、石を直方体に加工してから積む手法の巨大な石垣が見事! 直角に曲がる「枡形虎口(ますがたこぐち)」を歩く

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