家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 浜松市「引間城跡」には「出世の街」を象徴する家康と若き秀吉の像が立っていた

武家奉公をスタートさせた10代の秀吉(右)と、自らの力で「浜松城」を建て、武田との戦に身を投じた31歳の家康(左)の像が並ぶ「二公像」。訪れた人が間に立って撮影できるようになっている
解説版には、自分の意思で武田の大群勢から浜松を守るために三方原で戦った家康は、大敗を喫したものの城を守り抜き、その後、武田との形勢を逆転したと記されている
「二公像」と一緒に写真を撮り、SNSで運気を広めよう! という浜松市
解説板によると、「引間城」はもともと今川氏をはじめ数々の城主を持つ城だったが、家康の最初の居城でもあった。明治19年に家康を祭神とする「元城町東照宮」を建立し、本丸跡は境内として機能しているとのこと
神社の麓には、家康がここで寝起きしていた場所に当たるという住居跡がある
解説版には、家康が29~45歳の浜松時代は苦労が絶えなかったが、それらを乗り越えて快進撃をスタートさせたと記されている
建物の裏手に回ってみると、終戦直後に建てられた祠の台座が保存されていた。浜松大空襲で東照宮は全焼したが、終戦時に住民が小さな祠を設けたことで、区画整理されることなく現存しているらしい
家康が作った道を表す「権現道」の石碑があった。平和の世を作った家康が敷いた道は、現代人の生活や思想にも多大な影響を与えているはず
「引間城」の北側には城門(玄黙口:げんもくぐち)があり、1572年「三方原の戦い」に敗走した家康がこの城門から退却したと伝えられている。「浜松城」の主要な曲輪として機能していたようだ
「引間城」の裏側は絶壁になっており、まさに城としての作りを想像させる。すぐ目の前が「浜松城」
「元城町東照宮」は「引間城」の本丸跡地にある。この辺りの道は狭く駐車場もないので、目と鼻の先の「浜松城」の駐車場にバイクを停めてから、改めてお参りに訪れた
武家奉公をスタートさせた10代の秀吉(右)と、自らの力で「浜松城」を築き、武田との戦に身を投じた31歳の家康(左)の像が並ぶ「二公像」。訪れた人が間に立って撮影できるようになっている
自分の意思で武田の大群勢から浜松を守るために三方原で戦った家康は、大敗を喫したものの城を守り抜き、その後、武田との形勢を逆転した
平和、出世の象徴とも言える家康は祭神として祀られている。明治時代に「引間城跡」は東照宮となった

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