家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 浜松市「引間城跡」には「出世の街」を象徴する家康と若き秀吉の像が立っていた
徳川家康の居城として有名な城と言えば「岡崎城」、「浜松城」、「駿府城」ですが、「浜松城」を築城する前に拠点としていたのが「引間城(ひくまじょう)」です。家康と若き日の豊臣秀吉にゆかりのあるこの地に、2人の像が立っています。「出世の街 浜松」とPRする浜松市のパワースポットへ、スーパーカブで訪れました。
2人の天下人の住居跡地、現代のパワースポットに?
徳川家康の居城として有名な城と言えば「岡崎城」、「浜松城」、「駿府城」ですが、「浜松城」を築城する前に拠点としていたのが「引間城(ひくまじょう)」です。家康と若き日の豊臣秀吉にゆかりのあるこの地に、2人の像が立っています。「出世の街 浜松」とPRする浜松市のパワースポットへ、スーパーカブで訪れました。

「浜松城」から歩いて数分、目の前と言っても良いくらい近くに「引間城跡」はあります。現在は「元城町東照宮(もとしろまちとうしょうぐう)」という神社となっています。ここは歴史ファンならずとも出世を叶えるパワースポットとして、撮影をしたり、神社にお参りする人が絶えない所です。それもそのはず、浜松時代の徳川家康だけでなく、少年時代の豊臣秀吉にも縁の深い場所だからです。
2人の銅像には、浜松市文化顧問であり史学博士としてテレビ番組などでも活躍中の磯田道史氏監修の元、解説が記されています。それによると、秀吉は武士になろうとした旅の途中、ここ「引間城」に連れてこられて気に入られ、松下家への武家奉公が叶った地とのこと。

16~18歳までの3年間、秀吉はここで武者修行を積み、よく働き、よく学んだと言います。その後、松下家に退職金をもらって尾張に帰り、織田信長と出会って出世を果たし、天下人となりました。
一方の家康は31歳の頃の像です。武田軍に大敗した「三方原(みかたがはら)の戦い」の勇姿だそうです。「引間城」を拠点に「浜松城」を築いた家康は、生まれ故郷の「岡崎城」とはまた違う意味で大切な城だったため、命にかえても守りたかったのだろうと想像できます。

武田軍の侵攻から守ろうとしたものの、戦略に優れた武田軍の前に大敗を喫し、命の危険も晒しながらなんとかこの城に帰還した家康ですが、結果的には城を守り抜きました。「今川家や織田家の命令をはなれ初めて自分の意思で戦い、浜松城を保って領民を守り抜いたお姿である」と磯田氏の解説が碑に記されています。
家康は生涯で何度も大ピンチに見舞われながらも、人の力に救われながら回避し、ついに天下人として太平の世を築きました。この城は2人の天下人が戦国武将としての一歩を踏み出した運命の地というわけです。

浜松市では「自撮りをしてSNSで運気を周囲に振りまこう」と、若者へのPRも積極的です。ちょっとミーハーかもしれませんが、2人の運気にあやかってみるのも面白いのではないでしょうか。













