家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 三大危機の最初の試練「三河一向一揆」の舞台とは

「勝鬘寺(しょうまんじ)」は「本證寺(ほんしょうじ)」、「上宮寺(しょうぐうじ)」と共に「三河三カ寺」と呼ばれ、「三河一向一揆」の拠点のひとつとして知られている
「勝鬘寺(しょうまんじ)」は「本證寺(ほんしょうじ)」、「上宮寺(しょうぐうじ)」と共に「三河三カ寺」と呼ばれ、「三河一向一揆」の拠点のひとつとして知られている
大久保一族の発祥地「上和田城址」は家康の本陣「浄珠院(じょうしゅいん)」のすぐ近くにある。上和田に住む大久保一党は一揆と対峙して激しく戦ったと言われる。生涯徳川家に仕えた大久保彦左衛門もここで生まれた
大久保一族の発祥地「上和田城址」は家康の本陣「浄珠院(じょうしゅいん)」のすぐ近くにある。上和田に住む大久保一党は一揆と対峙して激しく戦ったと言われる。生涯徳川家に仕えた大久保彦左衛門もここで生まれた
愛知県岡崎市にある「三河一向一揆」発祥地となる「上宮寺(じょうぐうじ)」。1585年、家康により復帰を認められた
家康からの赦免を祝い植えられたという「不断桜(ふだんざくら)」は、四百数十年の時を経た今でも、花を咲かせているという
家康からの赦免を祝い植えられたという「不断桜(ふだんざくら)」は、四百数十年の時を経た今でも、花を咲かせているという
「本證寺(ほんしょうじ)」は「三河一向一揆」で領主の家康と争った城郭寺院(じょうかくじいん)。周囲には二重の堀や土塁、境内には櫓のような鼓楼(ころう)まである、まさに城のような寺だった。写真の本堂は寛文3年(1663年)に再建された
外堀と内堀に囲まれていた本證寺。外堀は埋められてしまっているが、現存する堀もある。外からの侵入を阻むその作りは、岡崎城の家康にとっても脅威であったのかもしれない
外堀と内堀に囲まれていた本證寺。外堀は埋められてしまっているが、現存する堀もある。外からの侵入を阻むその作りは、岡崎城の家康にとっても脅威であったのかもしれない
「岡崎城」から南東3.5kmにある丘陵地の「小豆坂(あずきざか)」は、かつて織田と今川の激戦地でもあったが、「三河一向一揆」でも戦場となった
「岡崎城」から南東3.5kmにある丘陵地の「小豆坂(あずきざか)」は、かつて織田と今川の激戦地でもあったが、「三河一向一揆」でも戦場となった
尾張の織田と三河の今川の戦地でもあった「小豆坂」はその後、家康にとっても重要な戦地となった
血洗池、槍立松、馬洗池、千人塚などの伝承が残る小豆坂。現在は解説板に記された池などは残っておらず、街道と住宅に囲まれ、車が行き交う
愛知県岡崎市にある「三河一向一揆」発祥地となる「上宮寺(じょうぐうじ)」。1585年、家康により復帰を認められた
「本證寺(ほんしょうじ)」は「三河一向一揆」で領主の家康と争った城郭寺院(じょうかくじいん)。周囲には二重の堀や土塁、境内には櫓のような鼓楼(ころう)まである、まさに城のような寺だった。写真は境内にある鐘楼(しょうろう)
岡崎城の南東3.5kmにある丘陵地の「小豆坂(あずきざか)」は、かつて織田と今川の激戦地でもあったが、「三河一向一揆」でも戦場となった
三河一向一揆での家康の本陣となった「浄珠院(じょうしゅいん)」は、徳川家・松平家にゆかりの深い寺のひとつ。境内の太子堂の前で和平が交わされた。一揆の収束後、家康は断罪せず和睦を結んだため、平和の象徴の地でもある

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