「伊賀越え」ゆかりの地をバイクで巡る 穴山梅雪が命を賭して家康を守った「草内(くさうち)の渡し」とは

家康と家臣たちが木津川を渡ったとされる「草内の渡し」には、ここが「伊賀越え」の道だったことを示す解説板や道標が立つ
解説板には殿(しんがり)をつとめ、この地に果てた家臣、穴山梅雪のことも記載されている
のどかな風景が広がる河川敷の光景
家康が道中に寄ったとされる「尊延寺」の麓にあるセブン-イレブンの駐車場脇にも、「伊賀越え」の道標が立っていた
家康が道中に寄ったとされる「尊延寺」の麓にあるセブン-イレブンの駐車場脇にも、「伊賀越え」の道標が立っていた
「伊賀越え」の序盤に家康たちが立ち寄ったと言い伝えられている、大阪府枚方市の「尊延寺」
京都府京田辺市にある「普賢寺」。「本能寺の変」で危険地帯となった京を避けるように、大阪枚方市の「尊延寺」東の山中を経てこの寺にも寄ったとされている
NHK大河ドラマ『どうする家康』で沸く、「伊賀越え」ゆかりの地、京田辺市。地元で開催されるドラマのパブリックビューイングなど、イベントポスターが貼られていた
NHK大河ドラマ『どうする家康』で沸く、「伊賀越え」ゆかりの地、京田辺市。地元で開催されるドラマのパブリックビューイングなど、イベントポスターが貼られていた
家康と家臣たちが木津川を渡ったとされる「草内の渡し」には、ここが「伊賀越え」の道だったことを示す解説板や道標が立つ
「伊賀越え」の序盤に家康たちが立ち寄ったと言い伝えられている、大阪府枚方市の「尊延寺」
京都府京田辺市にある「普賢寺」。「本能寺の変」で危険地帯となった京を避けるように、大阪枚方市の「尊延寺」東の山中を経てこの寺にも寄ったとされている
のどかな風景が広がる河川敷の光景。少年たちが野球に熱中していた

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