400年間崩れずに残る「八王子城」の石垣! バイクで往く城跡巡り

「大手の門」跡とされている場所。古図などでこの辺りに門などの施設があることが予想されていたが、1988年の確認調査で存在が明らかになった
「大手の門」跡とされている場所。古図などでこの辺りに門などの施設があることが予想されていたが、1988年の確認調査で存在が明らかになった
「御主殿」に入る道として使われていたと考えられる「古道」。当時はさらに下流の方へ続いていた可能性があるとのこと
敵の侵入を防ぐために、すぐに壊すことができる橋が架けられていたことが、古図から想像できた。現在の「曳橋」は、復元ではなくあくまでも来訪者の通路として、戦国時代の雰囲気で作られたもの
敵の侵入を防ぐために、すぐに壊すことができる橋が架けられていたことが、古図から想像できた。現在の「曳橋」は、復元ではなくあくまでも来訪者の通路として、戦国時代の雰囲気で作られたもの
「曳橋」を渡ってもすぐには「御主殿」にたどり着けない。「コの字」型に折れ曲がった道は敵の侵入を制限し、四方から攻撃を射かけることもできたはず
廃城から約400年間、土の中で眠っていた石垣と石の階段。修復はされているものの、野面積みの石垣が強固な「盾」であったことを、改めて思い知らされる
1段高くせり上がっている大きな石が、おそらく櫓門と想定される建物の礎石。これが計4つ残されていた
門をくぐると、いよいよそこは北条氏照の居館があったとされる「御主殿」跡。政治を取り仕切る「主殿」と、宴会などを行う「会所」が存在していたようだ
門をくぐると、いよいよそこは北条氏照の居館があったとされる「御主殿」跡。政治を取り仕切る「主殿」と、宴会などを行う「会所」が存在していたようだ
礎石は忠実に再現されたもので、石の材質まで当時と同じものを想定している
大火に包まれて落城した痕跡は、破損した遺物や高熱を受けた土だけでなく、柱穴の跡にも見られる。落城の際に柱の根元が焼け残り、その後、柱が腐って空洞化した円形の穴が、7カ所1列になって検出されたとのこと
発掘時の様子や全体図、整備の様子が写真付きで解説されている。非常に大掛かりな整備計画であったことが分かる
発掘時の様子や全体図、整備の様子が写真付きで解説されている。非常に大掛かりな整備計画であったことが分かる
スーパーカブで国史跡「八王子城跡」を訪れた。クルマや大型バス、バイク用の駐車場や散策ルートなど、整備が行き届いている
廃城から約400年間、土の中で眠っていた石垣と石の階段。修復はされているものの、野面積みの石垣が強固な「盾」であったことを、改めて思い知らされる

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