壮絶な兵糧攻め「三木の干し殺し」とは!? 23歳で自分の命と引き換えに民を守った武将の歌 『豊臣兄弟!』ゆかりの地をバイクで巡る旅

現地の解説板によると、二の丸跡からは備前焼大甕(おおがめ)群を埋設した穴などが発見された。「ほとんどの甕の底は空であったことや、わずかな量しか検出されなかったことから、羽柴秀吉による兵糧攻めにより食糧が尽きたことを思いおこさせる費重な史料といえます。」という一文が、当時の凄惨さを思い起こさせた
「三木城跡上の丸公園」内にある稲荷神社を参拝してから散策
神社には「三木合戦」における別所治定(長治の弟)の奮戦図や、城の復元図などが奉納されていた
神社には「三木合戦」における別所治定(長治の弟)の奮戦図や、城の復元図などが奉納されていた
13歳で「三木城」当主となり、23歳という若さで自害した別所長治の石像。家臣や領民の命を救う条件で自害をしたと言われている
13歳で「三木城」当主となり、23歳という若さで自害した別所長治の石像。家臣や領民の命を救う条件で自害をしたと言われている
長治辞世の句は、自分の命と引き換えに民の命を救えた安堵と、そこに恨みはないという想いが込められている
本丸跡には詳しい解説板があった。兵糧攻めによる落城後も、京都や大阪からの入口として重要な場所であったことなどが記されている
本丸跡には詳しい解説板があった。兵糧攻めによる落城後も、京都や大阪からの入口として重要な場所であったことなどが記されている
古城図によると、二の丸と本丸の間の小道は、当時は空堀だったようだ
長治側に立って秀吉軍の包囲配置図を見ると、絶望感に襲われる。秀吉の陣地の近くには弟・秀長の陣地も見られる
「かんかん井戸」と呼ばれる本丸井戸跡が残されている。深さ25mで、石を投げ込むと「カンカン」と音がしたとか。この中から別所愛用の鎧(あぶみ)も出土され、大切に保管されているとのこと
二の丸跡の「三木市立みき歴史資料館/堀光美術館」駐車場にバイクを停めて城跡を探索。資料館では三木城攻めの秀吉包囲軍のジオラマ展示などを見学することができる
古城図によると、二の丸と本丸の間の小道は、当時は空堀だったようだ。往時の図と照らし合わせて歩けるのは面白い

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