秀吉「中国大返し」の道筋に関わった!? 宇喜多秀家生誕の地「亀山城跡」へ 『豊臣兄弟!』ゆかりの地をバイクで巡る旅

城跡内に何本も掲げられた旗印の「兒(こもじ)」。まるで宇喜多家の魂が今でも残っているかのよう
城跡内に何本も掲げられた旗印の「兒(こもじ)」。まるで宇喜多家の魂が今でも残っているかのよう
城跡内に何本も掲げられた旗印の「兒(こもじ)」。まるで宇喜多家の魂が今でも残っているかのよう
宇喜多直家、秀家を主役とする大河ドラマの実現へ向けた署名活動も行われている。実現を望みたい
現地の解説板に記された内容で、城の歴史や、秀吉の「中国の大返し」の模様などを知ることができた
現地の解説板に記された内容で、城の歴史や、秀吉の「中国の大返し」の模様などを知ることができた
現地の解説板に記された内容で、城の歴史や、秀吉の「中国の大返し」の模様などを知ることができた
城跡内には宗方神社(むなかたじんじゃ)が
曲輪(くるわ)の案内に沿って歩いてみると、竹藪に囲まれた形の平場に出ることができた
曲輪(くるわ)の案内に沿って歩いてみると、竹藪に囲まれた形の平場に出ることができた
「関ヶ原の戦い」で西軍の主力として挑んだ宇喜田秀家は、八丈島最初の流刑者となり、1655年に83歳で没した。秀家が島で自ら植えたとされるソテツの株分けが「亀山城跡」に贈られ、大事に育てられている
「関ヶ原の戦い」で西軍の主力として挑んだ宇喜田秀家は、八丈島最初の流刑者となり、1655年に83歳で没した。秀家が島で自ら植えたとされるソテツの株分けが「亀山城跡」に贈られ、大事に育てられている
「関ヶ原の戦い」で西軍の主力として挑んだ宇喜田秀家は、八丈島最初の流刑者となり、1655年に83歳で没した。秀家が島で自ら植えたとされるソテツの株分けが「亀山城跡」に贈られ、大事に育てられている
来訪者ノートには、流刑後に二度と会えなかった秀家と豪姫のことなど、来訪者の想いの数々が記されていた
ホンダ「スーパーカブ」で「亀山城跡」を訪れた。決して規模は大きいとは言えないが、宇喜多や秀吉といった武将とのゆかりが深く、現地に足を運んで良かったと思える城跡だった
明治2年にようやく赦免された宇喜多一族。地元の人々による愛着を感じさせる

この画像の記事を読む

画像ギャラリー

編集部からのおすすめ

水上バイクの免許は1日半で取得できる!? 初めて水面を走ってみた|葉月美優のSea-Dooエンジョイライフ 免許取得編【PR】

水上バイクの免許は1日半で取得できる!? 初めて水面を走ってみた|葉月美優のSea-Dooエンジョイライフ 免許取得編【PR】

最新記事