秀吉「中国大返し」の道筋に関わった!? 宇喜多秀家生誕の地「亀山城跡」へ 『豊臣兄弟!』ゆかりの地をバイクで巡る旅

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で描かれた秀吉の「中国大返し」で、その行程との関わりを伝えるのが、現在の岡山県岡山市東区に残る「亀山城跡」です。宇喜多秀家の生誕地であり、八丈島との縁を結ぶソテツが根を張る小さな丘にバイクで訪れました。

地元からの敬愛が感じられる場所だった

 現在の岡山県岡山市東区沼の小さな山に、宇喜多秀家(うきたひでいえ)が生まれたとされる「亀山城跡」が残っています。ここまで走ってきたバイクを降りて石段を上ると、大規模な石垣や天守こそないものの、本丸跡には城の由来や宇喜多氏の歩みを伝える解説板が立っていました。木立の中に残る曲輪の高低差も、往時の城の構造を想像させます。

「亀山城」は、本丸と二の丸を置いた弁天山の姿が亀に似ていることから名付けられ、地名にちなみ「沼城」とも呼ばれます。城は東西に連なる低い丘陵を利用して築かれ、周囲の湿地も天然の防御線として生かしたと考えられています。

 現地の解説板によれば、中山備中守信正(なかやまびっちゅうのかみのぶまさ)が築き、1559年に宇喜多直家(うきたなおいえ)が城主となりました。直家は「新庄山城(しんじょうやまじょう)」から移り、1573年ごろ「岡山城」へ進出するまでの約14年間、ここを勢力拡大の拠点とします。秀家は1572年、直家の次男として、この城で生まれたと伝わります。

ホンダ「スーパーカブ」で「亀山城跡」を訪れた。決して規模は大きいとは言えないが、宇喜多や秀吉といった武将とのゆかりが深く、現地に足を運んで良かったと思える城跡だった
ホンダ「スーパーカブ」で「亀山城跡」を訪れた。決して規模は大きいとは言えないが、宇喜多や秀吉といった武将とのゆかりが深く、現地に足を運んで良かったと思える城跡だった

 ここはNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で大きな見せ場となる「中国大返し」とも無縁ではありません。

 1582年、「備中高松城」を攻めていた羽柴秀吉(はしばひでよし)は、「本能寺の変」を知ると毛利方との講和をまとめて東へ反転しました。現地の「亀山城物語」には、「亀山城」から姫路まで、十九里を一昼夜で駆け抜けたという一説が記されています。

 解説板には、秀吉は織田信長の命により1万7000人もの兵を連れて「亀山城」へ向かい、到着したのが3月19日で4月4日に「備中高松城」の攻略へ向けて進軍し、城の周囲を水で満たして孤立させる「水攻め」で攻略を成功させたとあります。

「本能寺の変」が起きたのは6月2日未明です。一刻も早く信長の仇を討ちたい秀吉は、梅雨による川の氾濫などでこの「亀山城」で足を止め、そして東の空に朝日が差した6月8日に、秀吉は姫路まで一気に駆け抜けていったとのことです。

 行程や日付には諸説あるものの、当時の山陽道に近く、備前東部を押さえる「亀山城」周辺が、秀吉軍の急行を支える重要な経路だったことは想像に難くありません。天下人への道を切り開いた「大返し」の途中に、この小さな城があったと考えるだけでも胸が躍ります。

 さて、話は宇喜多家に戻ります。父の死後、幼くして家督を継いだ秀家は、秀吉のもとで四国・九州・小田原攻めに従軍し、朝鮮出兵では重責を担い、五大老の1人に上り詰めます。

「岡山城」と城下町の整備、旭川の流路変更、新田開発などを進め、現在の岡山市発展の礎も築きました。妻は前田利家(まえだとしいえ)の娘で、秀吉の養女となった豪姫(ごうひめ)です。

 秀家は1600年の「関ヶ原の戦い」で西軍の主力として敗れ、薩摩への潜伏を経て八丈島へ流されました。豪姫との再会はかないませんでしたが、豪姫と前田家は島の秀家や子孫へ援助を続けます。秀家は1655年、83歳で八丈島に没しました。

明治2年にようやく赦免された宇喜多一族。地元の人々による愛着を感じさせる
明治2年にようやく赦免された宇喜多一族。地元の人々による愛着を感じさせる

 宇喜多氏の家紋として知られる「剣片喰(けんかたばみ)」は、3枚のカタバミの葉の間に剣を配した意匠です。繁殖力の強いカタバミは、家の繁栄を願う紋として武家に好まれました。

 また宇喜多氏の旗印として「兒(こもじ)」も有名です。その由来には諸説ありますが、祖先の本拠地であった備前国・児島の「児」の文字とも関係があるようです。

 城跡には八丈島ゆかりのソテツも植えられていました。現地解説では、秀家一族の菩提寺にあったソテツは、花が咲けば流人に赦免が訪れる「赦免花(しゃめんばな)」と呼ばれました。しかし宇喜多一族に赦免が下ったのは明治2年のこと。八丈島から贈られた株が生誕地で根を張る姿は、秀家が長い時を超えて故郷へ帰ってきたようにも見えました。

「亀山城」は1601年、小早川秀秋(こばやかわひであき)の時代に廃城となったとされ、中心櫓や城門の一部は「岡山城」などへ移されたとの伝承も残ります。

 それでも亀山城跡保存会は、現場の清掃や調査、歴史教室を続け、地元児童と八丈島の小学校との交流にも取り組んできたそうです。

 岡山市を中心に、直家・秀家の「大河ドラマ化」を求める署名は8万8900人を突破しています。

 小さな城跡に立つと、その波乱の生涯だけでなく、埋もれた物語を未来へつなぎたい地域の熱意まで伝わってきました。

【画像】NHK大河ドラマ実現を熱望!? 地元の人たちからの熱い想いが伝わる「亀山城跡」を画像で見る(16枚)

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