神奈川県内最大級の障子堀に出会える「河村城」とは? バイクで往く城跡巡り

日本各地に存在する城跡の中から、神奈川県最大級と言われる独特な機構の「障子堀(しょうじぼり)」が残された「河村城」へバイクで訪れました。

遺構の復元と整備が進み、巡りやすく案内も丁寧な城跡だった

 戦国時代、「小田原城」を本城とする北条氏の支城には「障子堀(しょうじぼり)」と呼ばれる、障子の桟(さん)のような形状の堀が見られます。この独特な掘は静岡県の「山中城」が有名ですが、神奈川県にも県内最大級と言われる障子堀が見られる「河村城」があると聞き、早速バイクで訪れました。

バイクを安全な場所に停めて、「河村城」へプチトレッキング
バイクを安全な場所に停めて、「河村城」へプチトレッキング

 障子堀は、上から見るとお菓子のワッフルの表面のようになっており、とても美しい形状で観光客にも人気があります。しかし、攻める側の立場で見るとかなり厄介です。堀自体に行く手を阻まれている上に、細かく区切られているので容易に攻め進むことができません。最終的には「山中城」も「河村城」も豊臣秀吉に攻略されてしまいますが、その独特な機構はなかなか興味深いものがあります。

「河村城」は現在、山北町観光協会によって「河村城址歴史公園」とされており、整備が進みアクセスしやすい山城です。バイクを停めて散策ルートを登ってみました。

遺構の案内は随所に設置されているので、内容や地形、歴史などを理解しやすい
遺構の案内は随所に設置されているので、内容や地形、歴史などを理解しやすい

 たどり着いた本城郭(ほんじょうぐるわ)には詳しい歴史が説明されていました。その内容を抜粋すると次の通りです。

・甲斐、駿河から足柄平野に至る交通の要衝に位置している

・平安時代末期に河村秀高によって築城される

・秀高の子の義秀が、源頼朝の石橋山挙兵で平氏方についたため領地を没収されるが、1190年、鎌倉での流鏑馬の妙技により、復帰できた

・南北朝時代、河村氏は南朝側につくが、北朝側の足利尊氏らにより鎌倉が攻められ、南原の戦いで畠山国清率いる足利尊氏軍にに敗れる

・その後数人を経て、戦国時代は小田原北条氏に引き継がれ補強。武田氏との間で、周辺の支城と共に争奪戦が展開される

・1590年、豊臣秀吉の小田原征伐で落城、廃城

見事な「障子堀」が復元された堀切は、橋の上からや、歩道から間近に見ることができる
見事な「障子堀」が復元された堀切は、橋の上からや、歩道から間近に見ることができる

 本城郭は広々とした公園という趣です。空堀をまたぐように架けられた橋からは、その様子がまざまざと浮かび上がってきました。さらに歩みを進めると、近藤郭(こんどうぐるわ)と呼ばれる竪堀(たてぼり)と空堀の跡があります。竪堀とは山の斜面に上下方向に設けた堀のことで、敵の横移動を制限するもの。ここでは幅14m、深さ3m、斜度は50度という堀が見つかっています。

 大庭郭からは足柄平野や相模湾を眺望することができました。神奈川県内の戦国時代の山城のなかで、「河村城」は唯一の県指定史跡です。神奈川県山北町のホームページでも紹介されていますので、気になる方はチェックしてみてはいかがでしょうか。

本城郭や近藤郭などが発掘された。縁石ベンチにより、竪堀と空堀の跡を示している
本城郭や近藤郭などが発掘された。縁石ベンチにより、竪堀と空堀の跡を示している

 御多分にもれず、この「河村城」も戦いの歴史に埋もれた山城です。城自体は難攻不落なれど、人の世は変わりゆくもの。のどかな景色と現代に蘇った堀の眺めに、刹那的な郷愁を感じてしまうのでした。

【画像】神奈川県足柄上郡にある「河村城跡」の画像を見る(18枚)

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