徳川家の始祖、親氏が築いたとされる「松平城」の地には無言の威圧感があった!? バイクで往く城跡巡り

愛知県豊田市松平町には、徳川家の始祖である松平親氏が築いたと言われる「松平城」の城跡があります。どのような山城だったのか、「松平城址」をバイクで訪ねました。

急峻な斜面に囲まれた、いかにも山城らしい地形

 徳川家の母体である松平氏(まつだいらし)は、日本の歴史においても重要な家系のひとつです。その始祖である親氏(ちかうじ)が築いたと言われるのが、愛知県豊田市松平町の「松平城」です。別名「郷敷城(ごうしきじょう)」とも呼ばれる山城をバイクで訪ねました。

車で訪れる場合は松平郷の看板が立つ松平郷駐車場に停めて歩くが、バイクは写真の左方(見切れている)に停められるスペースがあった
車で訪れる場合は松平郷の看板が立つ松平郷駐車場に停めて歩くが、バイクは写真の左方(見切れている)に停められるスペースがあった

 さすが、松平氏発祥の地である松平郷には名だたる史跡が多数あり、徳川家康ゆかりの「松平東照宮」や「産湯の井戸」などは観光地として整備されています。今回の目当ては何と言っても「松平城址」です。山城の「松平城」は、入り口から堂々とした石碑や案内板が置かれています。

 まずはバイクを置いて解説板を読んでから、城道を登ることにします。解説板に書かれていたことを要約すると次の通りです。

・応永(1294年から1427年)の頃、松平(徳川)氏の始祖、親氏の築城と伝わる

・標高298mの山頂に位置し、本丸、西北部山腹に二の丸、その下段に三の丸跡が見られる

・西部のほかはすべて急峻な斜面で、本丸跡の下方約15mの山腹に南、東、北の三方に渡り、幅3mから5mの空堀が約200m残っている

・城の南東直下を新城街道(国道301号)が通る

・廃城の時期については諸説あり、不明

歩いてすぐに主郭と曲輪4方面の分岐が現れる。主郭へ進むと急な登りがしばらく続く
歩いてすぐに主郭と曲輪4方面の分岐が現れる。主郭へ進むと急な登りがしばらく続く

 主郭を目指して歩きますが、山城だけあって最初から急斜面が続きます。整備はされているものの、早くも低山登山のような趣で、足元に気をつけながら進んで行きました。

 まず最初に曲輪(くるわ)2にたどり着きました。現在は木の根が張り巡らされていますが、当時はもっと整地されていたのでしょうか。そんなことを考えながら、さらに細い道を登ると主郭に到着。まさに開けたエリアですが、解説板に書かれていたように急峻な崖に囲まれています。

主郭は標高298mの山頂に位置する。周りは急峻な崖になっている
主郭は標高298mの山頂に位置する。周りは急峻な崖になっている

 一旦西側に下り、曲輪3から4を回ります。先の曲輪2から4まで段状に備えられており、斜面を縦に仕切る竪堀(たてぼり)や、等高線に沿って掘られた横堀を駆使して守りを固めていたようです。

 印象的だったのは井戸跡です。曲輪2と主郭の合間の谷地に位置するのですが、そこに至る道は細く、竹林を通り抜けるのですが、なかなかワイルドでした。肝心の井戸跡はシダが覆い茂ってよく見えませんでしたが、ワクワクする散策でした。周りは急峻な崖、なかなか容易には歩みを進められない山城です。

道の途中にいくつか巨大な岩があった。よく見ると切削されているようで、用途が気になるところ
道の途中にいくつか巨大な岩があった。よく見ると切削されているようで、用途が気になるところ

 この城での戦いの歴史は分かりませんでしたが、歴史を築いた松平家の伝説の始まりとされる城は、無言の威圧感というのでしょうか、堂々とした佇まいとして強く印象に残りました。

【画像】急峻な崖に囲まれた「松平城址」の画像を見る(16枚)

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