【MotoGP現場ぶら歩き】サーキット周辺に駐輪するバイクと、たくさんの自転車
2024年シーズンのMotoGP第13戦サンマリノGP取材のために、わたし(筆者:伊藤英里)はイタリアのミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリに赴きました。ミサノ・サーキットは何度も訪れているけれど、今回は初めてゆっくりと眺めたモニュメントがあり、少しの変化も感じました。
宿の女の子に言われた、「わたし、あなたを知っている」(!?)
2024年シーズンのMotoGP第13戦サンマリノGPを取材するために、わたし(筆者:伊藤英里)はイタリアのミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリを訪れました。サンマリノGPは「サンマリノ」というイタリア半島の北東部にある小さな共和国の名を冠してはいますが、実際にはサンマリノで行なわれるわけではありません。近いエリアではありますが、住所としてはイタリアです。

わたしは今回、サンマリノGPを取材するにあたって、リミニという街にコンドミニアムタイプの宿をとりました。辺りはアドリア海のビーチが近い、いわゆるリゾート地です。バカンスにやって来た人たち向けのホテルや長期滞在向けのコンドミニアム、海水浴のための水着やビーチサンダルなどを売るショップ、ゲームセンター、レストランがびっしりと建ち並んでいます。ショップは日本でも観光地でよく見かけるタイプのそれで、観光地はどこも似たようなものなのだなあと、妙な既視感を覚えます。
サンマリノGPが開催された9月上旬(9月6日から8日)は、まだバカンスのシーズンだったので、朝にサーキットに出かける6時から7時の時間帯は人影もまばらで、サーキットから戻る22時から23時ごろは、まだまだ夜を楽しむ人たちが歩き回っていました。
リミニは、ミサノ・サーキットから15kmくらいの場所にあります。そしてイタリアには2022年、2023年のMotoGPチャンピオンで、今季はホルヘ・マルティン選手とタイトル争いを繰り広げていたフランチェスコ・バニャイア選手というイタリア人MotoGPライダーがいますし、そして何より、とてつもなく有名な、バレンティーノ・ロッシ元選手というライダーがいます。
そんなことを考えながらコンドミニアムでチェックインの手続きをしていたときのこと。まぎれもないイタリアン英語を話す受付の女性が、駐車場の説明を終えてにっこりと笑いました。健康的に焼けた肌を持っていて、対応もとても親切です。
イタリア人についてはいろいろな話を聞くのですが、幸運にも、わたしは親身になってくれる素敵なイタリアンにばかり出会っています。彼女もそのうちの1人で、素敵なレストランを紹介してくれたし、メッセージの返信も迅速で、駐車場の案内からチェックアウトまで、柔軟に対応してくれました。日本ではサービスは当たり前のように無料ですが、イタリアではそんなことはないので、対応のひとつひとつは「人」にゆだねられる割合が大きい気がします。
「あなた、MotoGPの取材に来たの?」

わたしがMotoGPの話を切り出す前から、彼女がそう言います。「そうだけど……」と答えながら、なぜ知っているんだろう? ほかにも同じような仕事で滞在している人がいるのかも? などと考えていると、「あなたを見たことがある!」と彼女が続けました。
「MotoGPの映像で見たことがあるわ。バレンティーノ・ロッシにインタビューしていたでしょ?」
……残念ながら、わたしはロッシ元選手に単独インタビューをしたことはないので、どうやら人違いだったようです。
ただ、彼女はMotoGPを見ているし、よく知っているのでしょう。そんな小さな会話が、なかなかに興味深いものになりました。それにしても、彼女は一体、わたしを誰と勘違いしたのでしょう……?
メインゲート前の通りは「加藤大治郎通り」
ミサノ・サーキットを語るうえで、必ず触れなければならないことがあります。サーキットのメインエントランスの前の通りに、2001年GP250チャンピオン、故・加藤大治郎選手の名前がついているのです。通りの2カ所に「Daijiro Kato via」という看板が立っており、地図にもしっかりと記載されています。

加藤選手は生前、ミサノに住んでいました。メインエントランスは2004年に新たに整備され、それにともない作られた通りに、家族の了承を得たうえで加藤選手の名前がつけられたのだそうです。緑地帯には、桜の木も植えられています。
メインエントランスを出ると、民家が並んでいます。本当に、びっくりするほどサーキットのすぐ近くに民家があるのです。MotoGPのレースウイークには歩道にグッズショップや、フードスタンドが建ち並び、昼時にはパニーニやピアディーナをビールで流し込む人たちがテーブルを囲みます。
サーキットにまつわるもう1人のライダーのモニュメントは、そのショップを抜けた先のラウンドアバウト(環状交差点)の中心にあります。サーキットの名前にもなっている、故・マルコ・シモンチェリ選手のモニュメントです。
2011年マレーシアGPのアクシデントによって亡くなったイタリア人ライダーのシモンチェリ選手は、チャンピオンも嘱望された選手でした。彼の功績や、イタリアにおける当時の存在と喪失の大きさは、サーキットの名前にもなるということが表していると思います。

じつは、このモニュメントをゆっくりと眺めたのは、今回が初めてでした。レースウイークの取材をしながら、パドックからサーキットを出て徒歩で行くには遠すぎるわけでもないのですが、近いわけでもない距離にあるので、なかなか足を向ける時間がなかったのです。もちろん、レースウイークの間は、毎日このラウンドアバウトを通過してはいるのですが。
ミサノ・サーキットだけではなく、ヨーロッパのサーキットでは、ライダーやドライバーのモニュメントなどをよく見かけます。ミサノ・サーキット以外にも、ライダーがサーキットの名前になっていることもあり、スペインのヘレス・サーキット‐アンヘル・ニエトもそのひとつです。コースのコーナーにライダーの名前がついているのも、そう珍しくはありません。
モニュメントを写真に収めて、エントランスに戻っていると、ふと、あることに気づきました。ミサノ・サーキット周辺の歩道には、観戦客のたくさんのバイクが駐輪されています。そこは明らかに駐車場ではないのですが、取り締まりがないらしいのです。それはいつもの光景なのですが、緑地帯などに、自転車が停められているのが目についたのです。

そういえば、朝、リミニのコンドミニアムからサーキットに向かっているとき、自転車でサーキットに向かっている人を何人も見ました。もちろん、サーキットからリミニや周辺の街は、場所によっては3~4kmという距離ですから、自転車で行きたい気持ちも分かります。しかし、昨年や一昨年などと比べて、「こんなにたくさん自転車が停まっていたかな?」と感じたのです。端的に言って、増えているように見えました。
観戦客の傾向も、年々変わっているのでしょう。

例えば、バレンティーノ・ロッシ元選手が現役だったころは、サーキットは誇張ではなく黄色一色でした。今はドゥカティの赤に染まります。これもまた、変化のひとつです。
何度足を運んでも新しい発見があって、それが新しい興味になっていきます。「面白い!」そんな出会いがあると、ついつい口元が緩みます。
これだから、「ぶら歩き」はやめられないのです。
Writer: 伊藤英里
モータースポーツジャーナリスト、ライター。主に二輪関連記事やレース記事を雑誌やウエブ媒体に寄稿している。小柄・ビギナーライダーに寄り添った二輪インプレッション記事を手掛けるほか、MotoGP、電動バイクレースMotoE取材に足を運ぶ。




















