バイクで往く城跡巡り 名称からして「堅守ぶり」が想像できる山城 広島県福山市「要害山城」へ
「要害山城」というネーミングは、強固な守りのイメージそのもので、相当に強そうな山城です。関東では武田氏の「要害山城」が有名ですが、今回バイクで訪れたのは広島県福山市にある「要害山城」です。
遺構からも想像できる、鉄壁な防御の山城
バイクで現地を訪れた広島県福山市神辺町にある「要害山城跡」は、そのネーミングの通り強固な守りのイメージそのもので、相当に強そうな山城でした。関東では武田氏の「要害山城(ようがいやまじょう)」が有名です。

以前訪れた、同じ神辺町にある「神辺城(かんなべじょう)」の跡は、尼子(あまご)方の山名理興(やまなただおき)と大内・毛利軍との戦いの舞台でした。
「要害山城」は、毛利氏が陣を敷いた神辺平野の東に位置する標高約96mの山城です。
理興は大内氏の攻撃を約7年間持ちこたえた末に、1549年に「神辺城」が落城。それを機に、この「要害山城」も役目を終えて廃城となったとのことです。
長きに渡る戦の勝者となった毛利氏によるこの城は、元々は南北朝時代に備後地方(現在の広島県東部)を支配していた宮氏の一族が築いたものだそうです。
現在は綺麗な状態で遺構が保存されていますが、これは戦国時代の新しい技術を使って修築されたものだそうで、いわば毛利氏の城作りの技術が見られるわけです。
まずは麓の「天満神社」にバイクを停めて、徒歩で本丸を目指しました。5分ほど歩いて到着すると、そこは周囲を二重の土塁(どるい)、空堀(からぼり)、3カ所の虎口(こぐち)が設けられ、鉄壁な防御がされているものでした。

土塁は敵の侵入を防ぐために土を盛ったもので、土を掘った分の堀(空堀)の深さを考慮すると、登るのが相当困難な高い壁を作っていたと思われます。現在の遺構でもその姿ははっきりと認識できます。当時はさらに高さがあり、現在のような草木もなく、敵が侵入するのはかなり難しかったはずです。
そして虎口はいわゆる「升型門(ますがたもん)」の形となっています。これは城の防御システムとしてはお馴染みで、城門を二度曲がらないと内部に侵入できないという仕組みです。城兵からしてみればあらゆる方向から攻撃を仕掛けることができるわけです。
さらに「竪堀(たてぼり)」と呼ばれる、山の斜面に直角に細長く掘った防御ラインが本丸周囲に張り巡らせていたとのこと。まさに鉄壁を誇る城砦だったようです。
現在の本丸には桜の木が植えられており、神辺平野を一望できるのんびりした憩いの空間でした。しかしその先に細い道が続いていたので進んでみると、やがて倒木があり、獣道のような状態に……。
低山とはいえ整備されていないところは滑落や蛇、虫など色々なリスクがあるので、慎重に少しだけ歩いてみると、典型的な空堀と堀切らしき遺構も見ることができました。
普段なかなか訪れることのできない中国地方の山城を、しっかり堪能できた城跡巡りでした。












