見応えたっぷり! 武田、上杉、真田の拠点として発展した「松代城」へ バイクで往く城跡巡り
戦国時代に「川中島の戦い」の舞台となり、江戸時代は松代藩・真田十万石の城下町として栄えた長野市南部の松代町には、国指定史跡の城跡「松代城(まつしろじょう)」があります。
残された見事な石垣と、城下町の美しい光景
年代は不明、武田信玄の命で山本勘助(やまもとかんすけ)という人物によって築城されたという「松代城」は、現在は国指定史跡「松代城跡」(長野市松代町)として整備されています。バイクで訪れ、城内と周辺を散策しました。

現地の解説板によると、築城当時は「海津城(かいづじょう)」とも呼ばれていたようで、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信の「川中島の合戦」の際に、武田方の前進基地として1560年頃に築かれたのが始まりだそうです。
1600年の「関ヶ原の戦い」の後、森忠政(もりただまさ)が城主となり、二の丸や三の丸を整備、土塁を石垣に築き直しています。
1622年には真田信之(さなだのぶゆき)が上田から移封されて、江戸時代を経て明治に廃城されるまでの約250年間、松代藩真田家10万石の居城となったとのこと。
廃城で建物は取り壊されましたが、1981年に国指定史跡となります。いま見られるのは2004年、2015年に復元された太鼓門や堀、土塁、二の丸東部などです。

バイクを駐車場に停めて、まずは「太鼓門」の前にかかる「前橋」を渡ります。現在の橋は江戸時代末期の絵図をもとに忠実に再現したものらしいのですが、調査中に堀の中から30本以上の折れた橋脚が見つかったそうで、災害のたびに破損した橋を修復していた様子が伝わります。渡った先の「太鼓門」は本丸内で最大規模と言われ、時を告げる太鼓を備えていたそうです。
内部に入り、目を惹いたのはやはり美しい石垣です。大小の自然石を巧みに積み上げており、荒々しさと緻密さが同居しているかのような見事なバランスです。一部修復しているそうですが、その美しさに思わず見入ってしまいました。石自体は城跡でよく見る花崗岩のようです。
奥に進むと、そこには本丸御殿跡がありました。これは江戸時代中頃まであった政庁、藩主の住居のための御殿とのこと。
さらに北には「北不明門」と名付けられた門がありました。江戸時代末期のイメージ図を見ると「松代城」は川に囲まれた水の要塞のようです。この門も千曲川の河川敷に接していたらしく「水之手御門(みずのてごもん)」とも呼ばれていたとのことです。
城跡の周りには城下の美しい町並みが再現されていたり、「真田宝物館」があったりと、バイクでの城下町巡りも楽しいものでした。
「松代城跡」の入場時間は9時から17時まで。無料で見学することができるオススメの城跡でした。