築城から450年!! 織田信長の「安土城」はいまどうなっている? 『豊臣兄弟!』ゆかりの地をバイクで巡る旅
2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の時代を体感しようと、織田信長が築いた「安土城」をバイクで訪れました。1576年に築城が始まり、2026年で450年。以前も訪れましたが、発掘調査によって新たな発見があったことで見え方が変わるのが山城巡りの魅力です。
再び訪れた信長の城が違って見えてくる面白さ
2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の時代背景を追いかけるように、バイクで「安土城跡」(滋賀県近江八幡市安土町)を訪れました。織田信長が築いたこの城は、豊臣秀吉が台頭していく舞台そのもの。豊臣兄弟の物語を理解するうえでも、外せない場所のひとつです。
「安土城」の築城が始まったのは1576年で、2026年で450年になります。2024年のNHK大河ドラマ『どうする家康』ゆかりの地として一度訪れた場所ですが、あれから発掘調査が進められ、新たな情報が加わっていたのです。
これこそが山城巡りの面白さです。一度訪れて終わりではなく、調査によって歴史の解釈が変わり、風景の意味も変わるので、時間が経ってから再訪することで、まったく違う場所のように感じられることすらあります。

バイクを駐車場に停め、まずは受付で入場料を払い、大手道へと向かいます。この一直線に伸びる石段は、幅約6m、全長約180mあります。歩き始めてすぐに感じるのは、他の山城とは明らかに違う威圧感です。
段差は不揃いで決して歩きやすくはなく、じわじわと体力を奪われていきます。しかしそれ以上に圧倒されるのが、石の存在感です。無言で迫ってくるような重厚さに、自然と足取りも慎重になります。
この大手道は、単なる通路ではありません。近年の研究では、「人が日常的に使う道ではなく、“見せるための道”だった」と考えられています。その先にあるのは天皇を迎えるための本丸御殿で、つまりこの道は、権威を誇示するための空間演出だったのです。
途中には羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)や前田利家の邸宅跡とされる場所も現れます。とくに秀吉邸とされるエリアは広大で、当時の勢力の大きさを感じさせるものがあります。ただしこれらも確定した史実ではなく、あくまで有力な説のひとつです。こうした部分もまた魅力です。
石段の途中には、石仏がそのまま石材として使われている箇所もあります。信長の合理主義を象徴するような光景で、宗教的価値よりも実用性を優先した一面が垣間見えます。
一方で、城内には寺院も存在しており、単純な破壊者ではない複雑な人物像も浮かび上がってきます。

やがて黒金門跡を越えて本丸跡へ続きます。ここには天皇を迎えるための御殿があったとされ、その構造は京都御所の清涼殿と酷似していたことが発掘調査で判明しています。礎石の配置からそこまで読み解けるとは、考古学の面白さを感じます。
さらに上へと進むと、天主跡に到着します。高さ約33m、五層七階という当時としては異例の高層建築だったそうです。その存在はヨーロッパの宣教師たちをも驚かせたと記録されています。
しかも信長自身がこの天主に住んでいたことも特異です。本来、城主は御殿に居住するのが一般的だった時代に、あえて天主に住むという選択。ここにもまた、既成概念にとらわれない信長の思想が表れています。
「安土城」は完成からわずか3年後、「本能寺の変」によってその役割を終え、焼失した幻の城です。しかし現代においても発掘調査が続けられ、新たな事実が次々と明らかになっています。この日も、調査中のエリアはシートで覆われていました。
この先どんな新発見があるのか、信長の描いた構想がどこまで解明されるのか、秀吉や秀長がこの城で何を見て、何を感じたのか、そして信長は何を想っていたのか……。
そうした想像を巡らせながら歩く「安土城跡」は、単なる史跡ではなく「思考する場所」としての魅力を持っています。
バイクで訪れ、その土地の風を感じながら、自分のペースで歴史と向き合える。そんな旅の価値を、改めて実感させてくれる場所でした。














