「琵琶湖」と「余呉湖」を望む絶景スポット 古戦場「賤ヶ岳」を歩く 『豊臣兄弟!』ゆかりの地をバイクで巡る旅

滋賀県長浜市の「賤ヶ岳(しずがたけ)」は、羽柴秀吉と柴田勝家が激突した古戦場です。「本能寺の変」後、織田家中の主導権をめぐる争いは、この山を舞台に大きく動きました。現地をバイクで訪れ、歩いてみました。

「賤ヶ岳の戦い」の舞台となった山を歩く

 滋賀県長浜市の「賤ヶ岳(しずがたけ)」は、琵琶湖とその北に位置する余呉湖(よごこ)の間にそびえる標高約421mの山です。現在はリフトや登山道が整備され、山頂付近からは琵琶湖、余呉湖、湖北の山並みを望むことができます。穏やかな景色が広がりますが、天正11年(1583年)4月、ここは天下の行方を左右する決戦の舞台となりました。

 争い発端は、前年の天正10年(1582年)に起きた「本能寺の変」です。織田信長が明智光秀に討たれ、羽柴秀吉は「中国大返し」から「山崎の戦い」へ進み、光秀を破って一気に発言力を強めます。

 しかし織田家中には、北陸方面を任されていた重臣・柴田勝家がいました。「清洲会議」を経て両者の対立は深まり、やがて武力衝突へと向かいます。

 勝家は越前を本拠とし、北近江へ勢力を伸ばします。一方、秀吉にとって長浜や北近江は重要な足場でした。賤ヶ岳周辺は北国街道にも近く、越前から近江へ入る要衝です。つまり、単なる山の争奪戦ではなく、信長亡き後の主導権を誰が握るのかを決める戦いでした。

賤ヶ岳リフト駐車場には、「賤ヶ岳の戦い」で活躍した「七本槍」などについて記された解説板が設置されている。登山前に知識を入れておくのもオススメ
賤ヶ岳リフト駐車場には、「賤ヶ岳の戦い」で活躍した「七本槍」などについて記された解説板が設置されている。登山前に知識を入れておくのもオススメ

 戦況が大きく動いたのは、柴田方の佐久間盛政(さくまもりまさ)が秀吉方の大岩山砦を急襲した場面です。砦を守っていた中川清秀(なかがわきよひで)は奮戦しましたが、配下の兵とともに討死しました。これにより、秀吉方は一時大きな危機に直面します。

 このとき秀吉は、美濃方面で織田信孝(おだのぶたか)に対応していたとされます。危機を知った秀吉は軍を返し、大垣から木之本まで約52kmを、その日のうちに移動したと伝わります。いわゆる「美濃大返し」です。約5時間で駆け抜けたとも言われ、移動時間や兵数については諸説ありますが、秀吉が予想を上回る速さで戦場へ戻ったことが、戦況を大きく動かしたのは確かでしょう。

 ここで見逃せないのが、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公である秀吉の弟・羽柴秀長(はしばひでなが)の存在です。

 秀長は田上山(たがみやま)に陣を置き、秀吉方の防衛線の一角を担いました。秀吉から秀長へ送られた書状には、兵を防御施設の外へ出さないよう厳しく命じた内容が残ります。秀吉が美濃へ向かった後も、秀長には戦線を維持する重要な役割が託されていたと考えられます。

 また、秀長配下の藤堂高虎(とうどうたかとら)も参戦したと伝わります。後世に編纂された藤堂家の史料では、高虎が先鋒として佐久間盛政軍と戦い、秀吉と秀長から加増を受けたと記されています。ただし、一般に知られる「賤ヶ岳七本槍」には含まれません。

 秀吉軍が予想を上回る速さで戻ると、佐久間盛政軍は撤退を始めました。そこへ秀吉方が追撃を加え、戦況は急速に傾いていきます。

 この戦いで目覚ましい働きを見せたとして、後世に「賤ヶ岳七本槍」と称されたのが、福島正則(ふくしままさのり)、加藤清正(かとうきよまさ)、加藤嘉明(かとうよしあき)、脇坂安治(わきざかやすはる)、平野長泰(ひらのながやす)、片桐且元(かたぎりかつもと)、糟屋武則(かすやたけのり)の7人です。

 敗れた勝家は越前北ノ庄城へ退き、のちに「お市の方」(織田信長の妹)とともに自害します。これにより、秀吉は織田家中の主導権を大きく引き寄せました。

「賤ヶ岳の戦い」は、秀吉が天下人へ進むうえで欠かせない転機だったと言えます。

ようやく辿り着いた山頂部の「賤ヶ岳砦跡」では、冷たい空気を吸いながら余呉湖を望み、解説板に目を通した
ようやく辿り着いた山頂部の「賤ヶ岳砦跡」では、冷たい空気を吸いながら余呉湖を望み、解説板に目を通した

 現地を訪れた際、道中には「賤ヶ岳合戦」や「七本槍」を紹介する案内板が設置されており、戦いの流れをたどることができました。また「賤ヶ嶽名称の起源」には、弘法大師にまつわる伝承も記されていました。伝承は史実とは分けて考える必要がありますが、古戦場に物語が重なっていることを感じさせます。

 山頂へ向かう道は観光地として整備されています。リフトで登頂することも出来ますが、山道を歩けば、尾根や湖との距離感がよく分かります。余呉湖を見下ろすと、なぜここが戦場となったのか、地形からも納得出来ました。

 ちなみに、勝家が陣を敷いた「玄蕃尾城(げんばおじょう)」(福井県敦賀市刀根)も訪れたところ、アクセスの厳しさから、県境の山中に本陣を築いた勝家方の環境が想像出来ました。

【画像】穏やかな景色が広がる古戦場「賤ヶ岳」を画像で見る(15枚)

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