要害の地に築かれた「四ツ山城跡」もまた、鎌倉殿ゆかりの地だった バイクで往く城跡巡り

「四ツ山城跡」を訪れたときに入り口に立っていた、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』ゆかりの地を主張するのぼり。比企一族と武蔵武士の闘いの舞台となった地だ
入り口には古い石碑や「四津山神社」の鳥居と記念碑が建つ。関東平定後、城の役割を終えて以来神社として祀られていたが、平成4年に老朽化した神社を再建することを決議。城の発掘調査を終え、平成9年に現在の姿として蘇ったのだそうだ
堀の外側にある移動路の「犬走り」跡が残る。階段は本郭方向に向かって伸びている
縄張り図を見ると「犬走り」の先にも「腰郭」があるようだ
最初の階段を登り切ると「腰郭」と呼ばれる平場に出た。不動明王が祀られている
「四津山神社」が建立された本郭跡は、地面の草が綺麗に刈られ整備されていた
本郭跡に立つ解説板には、山城の構造がわかる縄張り図も描かれていた。細長い尾根を巧みに使っていたことがわかる
本郭から南西を眺めると、東京都最高峰2017mの雲取山や、秩父の武甲山などを眺めることができた
尾根沿いに作られた「二の郭」や「三の郭」の間は、「堀切」と呼ばれる人工的に尾根を分断して敵の侵入を妨げる土木工事跡が残されていた
尾根沿いに作られた「二の郭」や「三の郭」の間は、「堀切」と呼ばれる人工的に尾根を分断して敵の侵入を妨げる土木工事跡が残されていた
尾根沿いに作られた「二の郭」や「三の郭」の間は、「堀切」と呼ばれる人工的に尾根を分断して敵の侵入を妨げる土木工事跡が残されていた
麓の道路から見上げた「四ツ山城跡」。平地にあって一際そそり立つ山だということがわかる
「四ツ山城跡」の入り口には、訪れたときは大河ドラマ『鎌倉殿の13人』ゆかりの地を主張するのぼりもあって分かりやすかった。比企一族と武蔵武士の闘いの舞台となった地
階段を登り「腰郭」と呼ばれる平場に出た。不動明王が祀られている。ここから「男道」(階段)か「女道」を経て本郭に到着する
「四津山神社」が建立された本郭跡は、地面の草が綺麗に刈られ整備されていた
細い移動路の「犬走り」も残されていた。縄張り図を見るとこの先にも「腰郭」があるようだが、薮と化していたので引き返した

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