ここも「鎌倉殿」ゆかりの城郭だった 神奈川県綾瀬市「早川城跡」 バイクで往く城跡巡り

神奈川県綾瀬市にある「早川城跡」は、現在は「城山公園」として整備され、のどかな光景が見られます。しかし歴史を紐解いてみると、NHK大河ドラマで話題の鎌倉殿(源頼朝)と縁の深い一族の居城だったのです。

整備の行き届いたのどかな公園、じつは防御施設に囲まれた山城だった

 バイクで往く城跡巡りの面白いところは、Googleマップで見つけたエリアに、気軽に散策しに出かけられることです。神奈川県の綾瀬市近辺の山城を探していたときに見つけた「早川城跡」は、かつて渋谷重国(しぶやしげくに)という人物の居城で、現在は「城山公園」として整備され、のどかな光景が広がっています。しかし城の歴史を紐解くと、NHK大河ドラマで話題の鎌倉殿(源頼朝)と縁の深い一族であることが分かりました。

「城山公園」入り口。バイク用の駐車場も確保されているのでバイクを停めてから散策に向かう
「城山公園」入り口。バイク用の駐車場も確保されているのでバイクを停めてから散策に向かう

 平家方であった渋谷重国は、1159年の平治の乱で源氏が敗れた際に、源氏軍の佐々木秀義を匿ったとされています。20年後、頼朝が挙兵すると、重国は平家方につきましたが、石橋山の戦いで敗れた源氏方の佐々木一族を捕らえるという要請を拒否。のちに鎌倉幕府が成立し、佐々木氏と共に重国は鎌倉御家人入りを果たしたとされています。

 公園の入り口に設置された案内板には、次のように書かれていました。

「早川城跡は、地元では古くから「城山(じょうやま)」と呼ばれ、鎌倉時代の御家人渋谷氏の城と伝えられています。しかし、文献資料がないことから、その実態は明らかではありませんでした。

 発掘調査によって、堀切(ほりきり)、土塁(どるい)、物見塚(ものみづか)、曲輪(くるわ)等、多くの城郭関連遺構が発見され、県内でも有数な保存状態の良好な中世城郭であることが明らかとなりました。また、城跡が構築される以前には、縄文時代や古代の集落が営まれていたことも明らかとなりました」

公園内に進み、かつて土橋であっただろう橋を渡ると、両側に堀切の姿が。土塁もしっかり残っているあたりが面白い
公園内に進み、かつて土橋であっただろう橋を渡ると、両側に堀切の姿が。土塁もしっかり残っているあたりが面白い

 この公園の最も城跡らしさを感じさせるところが、入口を入ってすぐの堀切と土塁です。自然の地形を利用した砦として、外敵の侵入を防ぐために城の周囲には堀が巡らされていたようです。また、その内側には掘った土を利用して高い土手(土塁)を築き、堅固な防御施設を作っていたようです。

現在は舗装化されているため一見ただの平坦な地に見えるが、ここは「腰郭(こしぐるわ)」という、斜面を人工的に切り崩した平坦面。緩やかな西側斜面ゆえに、敵の侵入を見張り、防御していたと考えられる
現在は舗装化されているため一見ただの平坦な地に見えるが、ここは「腰郭(こしぐるわ)」という、斜面を人工的に切り崩した平坦面。緩やかな西側斜面ゆえに、敵の侵入を見張り、防御していたと考えられる

 北側は平坦、東西と南側は急峻な崖となっており、天然の要害と人工物により防衛力を高めている辺りは、戦国時代の城跡にもよく見られる手法です。西側には斜面を切り崩して平坦面を作り出した「腰郭(こしぐるわ)」や、城郭の斜面に直交して掘られた「竪堀(たてぼり)」が発見されています。

 さらに面白いことに、渋谷氏の末裔の東郷平八郎氏の先祖の地でもあることから、物見塚には「東郷氏祖先発祥地碑」が建てられています。東郷平八郎氏は日露戦争でバルチック艦隊を破ったことでも知られています。

日露戦争で活躍した東郷氏は、早川城主の渋谷氏の末裔。物見塚には「東郷氏祖先発祥地碑」が建つ
日露戦争で活躍した東郷氏は、早川城主の渋谷氏の末裔。物見塚には「東郷氏祖先発祥地碑」が建つ

 現在ではのどかな時が流れる公園には、武士、ツワモノの精霊が宿っている、そう思えてくるのでした。

【画像】鎌倉殿と東郷氏に縁のある「早川城跡」を見る(15枚)

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