家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 「厭離穢土 欣求浄土」の言葉に出会った場所

2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』では、人気アイドルグループ「嵐」の松本潤さんが徳川家康を演じることもあり、家康ゆかりの地も話題となっています。家康の生涯の座右の銘となった「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」の言葉と出会った、愛知県岡崎市の「大樹寺(だいじゅじ)」をスーパーカブで訪れました。

自害の決意から、生涯の目的を見出す言葉に出会った

 松平家・徳川将軍家の菩提寺である「大樹寺(だいじゅじ)」は、1475年に愛知県岡崎市に開山され、松平家8代の墓や歴代将軍の位牌、73歳の家康の木像などが祀られている、徳川家と大変ゆかりの深い寺です。何と言っても有名なのは「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」という言葉。寺社内を巡ると、あらゆるところに、この言葉が書かれています。

若き徳川家康が座右の銘である「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」という言葉に出会った「大樹寺」
若き徳川家康が座右の銘である「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」という言葉に出会った「大樹寺」

 家康は「桶狭間の戦い」の緒戦では、織田軍に囲まれた「大高城」に兵糧を運び入れることに成功するなど手柄を立てましたが、大将の今川義元が織田信長の軍勢に討ち取られてしまい、決死の逃亡となりました。

 織田軍に追われた家康は少数の家臣と共に菩提寺である「大樹寺」に逃げ込みます。ついに先祖の墓の前で自害を決意した家康でしたが、その際に住職がかけた言葉が「厭離穢土 欣求浄土」でした。

 この言葉の意味は「穢れたこの世の中を厭い離れて、平和な極楽浄土を願い求める」こと。戦国の世に生まれ、戦いに敗れて自決寸前まで追い込まれた若き家康を救った「太平の世を目指しなさい」というこの言葉は、生涯の座右の銘となったと言われています。

「大樹寺」から「岡崎城」を望む「ビスタライン 」。3代将軍家光が先祖の眠る「大樹寺」を拝することができるようにと、380年守られてきた景観
「大樹寺」から「岡崎城」を望む「ビスタライン 」。3代将軍家光が先祖の眠る「大樹寺」を拝することができるようにと、380年守られてきた景観

 戦争の無い世の中を作るという大きな目的を抱いた家康は、この後も幾度もピンチが訪れ、岐路に立たされますが、どう乗り越えていったのかは、大河ドラマでも見所と言えるでしょう。

 さて、住職の言葉に生きる力を見出した家康ですが、織田軍の追っ手に対して「大樹寺」の僧侶の必死の抵抗で守られたそうです。その僧侶は殉死したと言われています。

あらゆるところで見ることが出来る「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」という言葉。家康の生涯の座右の銘となったと言われている
あらゆるところで見ることが出来る「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」という言葉。家康の生涯の座右の銘となったと言われている

「大樹寺」では入場料が必要ですが文化財拝観も可能です。また家康の祖父、松平清康(まつだいらきよやす)が建立した国の重要文化財「多宝塔(たほうとう)」なども必見です。

 この「大樹寺」と「岡崎城」は徳川3代将軍家光により、約3kmの直線(ビスタライン)が敷かれています。これは祖父である家康生誕の地を、本堂から山門、総門を通して「岡崎城」が望めるよう伽藍(がらん)を配置したそうです。また、歴代の岡崎城主は天守閣から、「大樹寺」に向かって毎日拝礼したと伝えられています。

「大樹寺」の多宝塔(重要文化財)は松平清康(まつだいらきよやす)により1535年に建立された。一層は方形、二層は円形という上下層の構造や彫刻など、細やかな美しさを感じる
「大樹寺」の多宝塔(重要文化財)は松平清康(まつだいらきよやす)により1535年に建立された。一層は方形、二層は円形という上下層の構造や彫刻など、細やかな美しさを感じる

 約380年前と同じく、寺の門越しに望む「岡崎城」を楽しむもよし、岡崎市がビスタライン上に設置した92個の金属鋲を歩きながら散策するのも面白そうです。

 また、入館料を払えば宝仏殿で松平8代、徳川歴代将軍の位牌(等身大)も拝むことができます。こちらは撮影禁止なのでご注意ください。

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