戦国時代から様々な困難を経て威容を誇る「富山城」へ バイクで往く城跡巡り
富山市中心部のシンボルである「富山城」は、1543年に築城されたと言われています。戦国時代には上杉氏、佐々成政などが城主となり、秀吉の天下統一後は前田利家(まえだとしいえ)が修築。その後も大火、廃城令、第2次世界大戦の空襲、2024年は能登半島地震の影響を受けて、復旧を目指しています。
残された土地と石垣、現在は市のシンボルに
2024年1月の能登半島地震によって、富山市の中心部にある「富山城址公園」は石垣の亀裂、堀の擁壁崩落などが見られ、復旧作業が行なわれています。今回訪れたときも公園内の一部が工事中でした。損壊箇所がまだ残っている「富山城」でしたが、この城の歴史を調べると、数百年の間に様々な激動の歴史があったことがわかります。

戦国時代は織田信長の武将である佐々成政(ささなりまさ)が居城し、この地方一帯を支配。しかし天下統一を目前とした羽柴秀吉(はしばひでよし:後の豊臣秀吉)の大軍を前に降伏し、その後切腹。秀吉により城は破却されますが、富山藩主となった前田家が修築をはかり、以後居城となりました。
その後も大火による消失、江戸幕府による「一国一城令(全国諸大名の居城以外はすべて破却する命令)」で一時廃城、第2次世界大戦での空襲による被害など、「富山城」はこれでもかというくらい、数々の困難をくぐり抜けてきたのです。

「富山城址公園」は、JR富山駅から徒歩10分という立地にあります。バイクで訪れるため事前に駐輪場を探していたところ、ありがたいことに城門のすぐ横の地下に、有料の駐車場・駐輪場があったので、そこに停めてから散策しました。
まずは格式高い城門から。ここは「千歳御門」と呼ばれ、10代藩主前田利保(まえだとしやす)の隠居所「千歳御殿」の正門です。明治時代は別の場所へ移されていたため戦火を免れ、2018年にこの場所に移築されたそうです。総檜造りで屋根には赤煉瓦、そしてそれを囲む石垣は、自然石を熟練の技巧で積んだ「野面積み(のづらづみ)」が見られます。
中に入ると見えてくるのが「富山市郷土博物館」です。ここは1954年に建設された3重4階建ての城郭を模した建物で、400年以上に渡る「富山城」の歴史を紹介しています。が、残念ながら休館日のため中には入れず……。

公園内では和風の庭園や2代藩主前田正甫(まえだまさとし)の像などを見ることができました。この人物は、富山の薬を広く諸国に行商させた「富山売薬の祖」と言われる人だそうです。
また「殉職警防団員之碑」もあります。こちらは消防団員の霊を弔うため、1940年に建てられたもの。富山の空襲にさらされているはずですが、しっかりと残存されていることに力強さを感じました。

「富山城」は戦国時代だけでなく、その後の歴史も感じさせてくれる力強い城でした。また機会があれば、博物館なども見て回りたいと思います。














