越中の戦国時代終焉の舞台「白鳥城」へ バイクで往く城跡巡り

戦国時代、天下統一目前の羽柴秀吉(はしばひでよし)は、約10万もの部隊で「越中攻め」を行ないました。敵対するかつて織田信長に仕えてたいた武将、佐々成政(ささなりまさ)が立てこもる「富山城」に対して、秀吉は「白鳥城」を本拠地に圧力をかけたのです。そんな山城へバイクで訪れました。

「越中征伐」で秀吉が陣を置いた山城

 富山県富山市吉作(よしづくり)にある「白鳥城跡」は、羽柴秀吉(はしばひでよし・後の豊臣秀吉)の越中(現在の富山県)攻めの舞台として有名になった山城です。富山平野の呉羽丘陵(くれはきゅうりょう)の頂に建つ、東西を見渡すことのできる軍事上の要衝でした。文献によれば、1183年に木曽義仲(きそよしなか)の側近、今井兼平(いまいかねひら)が陣を張った場所とも言われているようです。兼平はNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場した人物です。

呉羽丘陵にある「白鳥城跡」の城址碑の前で。駐車場や案内看板、公共トイレなどが整備されており、見学しやすい山城だった
呉羽丘陵にある「白鳥城跡」の城址碑の前で。駐車場や案内看板、公共トイレなどが整備されており、見学しやすい山城だった

 世は戦国時代、1543年頃に築城されたと言われる「富山城」の詰城として「白鳥城」も機能していました。そして1585年の秀吉による「越中攻め」では秀吉の本陣が置かれ、敵対するかつて織田信長に仕えてたいた武将、佐々成政(ささなりまさ)が立てこもる「富山城」に圧力をかけたのです。

 成政は秀吉の10万もの大軍の前に降伏し、以後「白鳥城」は前田家が支配した可能性が高いとのこと。遺構からは、当時としては非常に高度な築城技術が見られるようです。前田利家(まえだとしいえ)と言えば「金沢城」の城主であり、加賀百万石の礎を築いた人物として知られています。

入口から「東出丸跡」、「三の丸跡」を越えてさらに進むと「空堀(からぼり)」の跡があった。階段が整備されていて歩きやすい
入口から「東出丸跡」、「三の丸跡」を越えてさらに進むと「空堀(からぼり)」の跡があった。階段が整備されていて歩きやすい

 さっそくバイクを駐車場に置き、城跡巡り開始です。駐車場は比較的広く、トイレもあって整備が行き届いていました。散策路には緩めの階段があって比較的登りやすく、気持ちの良いトレッキング気分で歩くことができました。

 入口からしばらく進むと視界が開けて「東出丸跡」に出ました。さらに歩くと敵の侵入を防ぐための「空堀跡」があります。これまで多くの城跡で空堀を見て歩いてきましたが、ここでは階段などが整備されて歩きやすくなっています。もちろん、当時はそんなものはなく、堀はさらに深く、容易には侵入できなかったことでしょう。そんな空想も楽しいものです。

 さらに登り続けて「二の丸」、「本丸下郭」、「本丸」などを見て歩きました。ちなみに、ここの出土品の多くは富山県外のもので、東海から移動してきた兵が携えてきたものだそうです。

 越中の戦国時代を終わらせた秀吉の圧倒的な軍事力と政治力、そんなものを垣間見ることができる、良い山城でした。

【画像】いざ散策。「白鳥城跡」を画像で見る(17枚)

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