一体なぜ? 主郭に辿り着けない山城 残念無念の「桐原城」と「埴原城」へ バイクで往く城跡巡り
全国各地の山城をバイクで巡っていますが、場所を特定できていながらも道が悪すぎて断念したケースも数多くあります。長野県松本市の小笠原氏による「桐原城」と「埴原城」も、残念ながら途中で断念しました。
ただただ残念無念の城跡巡り。タイミング悪かった?
現在の長野県、松本市に拠点を構えた小笠原氏の城跡群をバイクで訪れました。大規模な「林城跡」を散策したのち、「桐原城(きりはらじょう)」と「埴原城(はいばらじょう)」の跡へ。ネットで調べた限りでは散策された山城ファンも多く、また松本市立博物館のホームページでもそれぞれ詳しく解説されており、空堀などの遺構の写真も多く見受けられたので狙いをつけていたわけですが、どちらも想像以上に難儀することになりました。

「桐原城跡」の麓には昭和57年に作られた解説板があり、それによると信濃国守護の小笠原氏の幕下の桐原氏が、1460年以降に「林城」の支城として築城したそうです。
武田氏によって1550年の「林城」落城と共に、「桐原城」も落城。その後廃城となったとのこと。
鳥獣よけフェンスの手前でスーパーカブを邪魔にならない場所に停めて、しばらく林道を歩いていきます。これが想像以上に長く、どんどん道が狭くなり、ついには雑草が全面に生い茂り、心細くなってきました。
途中に案内板などがあれば心に余裕が生まれたと思いますが、「本当に合っているんだろうか?」「熊に遭遇したらどうしよう……」などと考えながら歩みを進め、ついに断念。もう少し歩けば遺構に辿り着いた可能性はありますが、何より熊との遭遇はシャレにならないのでキッパリ諦めました。

気を取り直して「埴原城跡」に向かいました。現地の解説板によれば、元々は埴原氏が築城したと言われているようですが、おそらく小笠原貞慶(おがさわらさだよし)が改修したものと考えられているようです。厳重な防御施設の跡が、他の小笠原氏の城と共通しているとのこと。
石垣や土塁などが残されているらしく、それを目当てに向かったのですが、またもや難航します。麓にある屋敷の跡は見ることができましたが、その先にある鳥獣フェンスから先の山道が難関でした。
途中までは道も分かりましたが、どんどんとあやふやになり、最終的には道が分からなくなりました。梅雨の季節で雑草が生い茂っていたことも原因かも知れませんが、まさかの2連続敗退となるとは……。
ちなみに、遺構として残されている石垣は平らな石を平積みしたもので、これが小笠原氏の城の特徴だそうです。つまり畿内(穴太衆・あのうしゅう)の石垣技術を取り入れる以前の施工ではないか、とのことです。
その石垣も見学したかったのですが、まことに残念です。次にリベンジするなら積雪・凍結前の秋か……と考えつつ、熊対策などしっかり準備したいと思います。










