「賤ヶ岳の戦い」で秀吉の勝利を支えた秀長の「田上山城跡」へ 『豊臣兄弟!』ゆかりの地をバイクで巡る旅
滋賀県長浜市の「田上山城」(たがみやまじょう・別名「田上山砦」)は、「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」で羽柴秀長(はしばひでなが)が陣を置いたとされる山城です。バイクで訪れ、登山道をたどってみました。
数々の防御施設の遺構に登山の疲れも癒される?
現在の滋賀県長浜市木之本町にある「田上山城」(たがみやまじょう・別名「田上山砦」)は、標高323mの田上山山頂に築かれた砦です。「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」における羽柴方の重要な陣城として知られており、羽柴秀長(はしばひでなが)が陣を置いたとされています。
秀長の活動はNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で注目され、「北近江豊臣博覧会」(2026年12月20日まで開催中)でも、賤ヶ岳合戦エリアを代表する史跡のひとつとして紹介されています。
登城口は「意冨布良神社(おおふらじんじゃ)」の境内付近にありました。案内板によれば「田上山砦跡」まで約1.3km、所要時間は約50分とのこと。
数字だけ見ると気軽に感じますが、実際にはかなりしっかりした山歩きです。現地の注意書きにも、草履やハイヒール、スリッパ類では危険なので、軽登山の装備が必要だとあります。
落ち葉が積もる道、木の根が浮いた斜面、滑りやすい急坂を越えていくため、歩きやすい靴と飲み物は欠かせません。

田上山には賤ヶ岳合戦以前の歴史もあります。解説板には、元亀4年(1573年)ごろ、越前の朝倉義景(あさくらよしかげ)勢が織田信長の侵攻を阻止するため、この山に布陣したとあります。その際の兵火で、山中に祀られていた社殿が焼失し、後に神像は現在の意冨布良神社へ合祀されたそうです。
「田上山城」が大きな意味を持つのは、天正11年(1583年)の「賤ヶ岳の戦い」です。秀吉と柴田勝家(しばたかついえ)が、織田信長亡き後の主導権をめぐる戦いで、砦には秀吉の弟である秀長が入ったとされます。
主郭が本丸に相当する場所で、守将である秀長の陣所だったと紹介されています。さらに、秀吉もここへ軍議に来たと記されており、「田上山城」が単なる前線の見張り場ではなく、羽柴方の中心的な拠点だったことがうかがえます。
「賤ヶ岳の戦い」では、柴田方の佐久間盛政(さくまもりまさ)が秀吉方の「大岩山砦」を急襲し、中川清秀(なかがわきよひで)が討死するなど、羽柴方は一時大きな危機に直面しました。
このとき秀吉は、美濃方面へ向かっていたとされます。秀吉から秀長へ送られた4月3日付の書状には、兵を防御施設の外へ出さず鉄砲を撃つことや、草刈りに出ることさえ禁じる、厳しい指示が記されています。
秀長には、敵前で不用意に動くことなく、田上山を中心とする防衛線を維持する役割が託されていたのでしょうか。具体的な指揮の全容は分かりませんが、秀吉不在時にも羽柴方の陣形と指揮拠点を保ったことに、「田上山城」の重要性が表れています。

城跡を歩くと、その重要性は地形からも伝わってきました。外郭を含めると南北約500m、東西約250mに及ぶとされます。主郭、南郭、西郭、北郭、北外郭、角馬出し郭などが連なり、山上に築かれた一時的な陣城とは思えない規模です。
とくに興味深いのが、虎口(こぐち)や土橋(どばし)、角馬出し(かくうまだし)といった防御施設です。主郭の北側には出撃施設とされる角馬出しが置かれ、西郭からは北国街道(ほっこくかいどう)方面を眼下に見渡すことができます。南郭は主郭の南側を守り、土塁に囲まれた構造が読み取れました。
山中に残る土の高まりや道の折れは、一見すると自然な地形のようですが、案内板と照らし合わせると、敵を誘導し、横から攻撃するための工夫だったことが分かります。
途中には、賤ヶ岳七本槍の加藤清正(かとうきよまさ)などの名前が記されたベンチもありました。地元の高校生が作成したベンチの存在に、道中の疲れが和らぎます。戦国ファンなら思わず足を止めたくなる演出でした。
道中はけして楽ではありませんでしたが、郭や虎口の表示が現れるたび、疲れた体が少し軽くなる感覚がありました。山城歩きの面白さは、こうした発見にあるものです。
ここが大規模な戦場となったことを示す明確な記録は確認されていませんが、現在も土塁や堀切、虎口、土橋、馬出しなどが比較的明瞭に残り、秀長がどのような場所に陣を置いたのかを想像しやすい城跡となっています。
「賤ヶ岳」と言うと、どうしても秀吉の「美濃大返し」や「七本槍」の活躍に目が向きますが、その勝利の裏側には、田上山で前線を支えた秀長の存在がありました。
山頂の主郭に立つと、木々の間から北近江の地形が感じられます。ここで秀長は兄の帰還を待ち、軍を崩さず戦局の流れを見極めていたのかもしれません。
天下取りの華やかな場面ではなく、その足元を支えた「田上山城」は、豊臣兄弟の強さを知るうえで、じつに見応えのある山城でした。


















