今も静寂に包まれる「小谷城跡」 秀吉と長政が刻んだ「勝利」と「滅亡」の歴史とは 『豊臣兄弟!』ゆかりの地をバイクで巡る旅

南北800mの連続曲輪(くるわ)に対して、秀吉は正攻法ではなく急斜面を登り、城の中央から横に攻めることで長政と父の久政を分断。堅固な作りがかえって父の救出を妨げ、敗北へ突き進む結果になったという
琵琶湖方面を眺めると、正面には秀吉が陣を敷いた虎御前山(とらごぜんやま)が見える
番所跡から登り始めてすぐに「御茶屋跡」があった。風雅な名前だが、実際には重要な軍事施設だったはず
「御馬屋」「馬洗池」など馬関係の一角だったとされる場所。湧き水ではないが、年中水が絶えなかったとか
「黒金門」の手前にある「桜馬場(さくらのばば)」。細長く左右二段からなる曲輪
「黒金門」の手前にある「桜馬場(さくらのばば)」。細長く左右二段からなる曲輪
浅井氏、家臣の供養塔の前で、手を合わせた
本丸の南側には高さ12m、南北40m、東西25mの石垣が巡らされていた。落城寸前まで長政が居住していたと言われる
本丸の北側に残されている巨大な堀切。長い山城を分断する構造は防御に優れているが、浅井父子の分断を秀吉に利用され、自害に追い込んだとも言えるのかもしれない
手書きの古い解説板が哀惜に満ちている。落城し、長浜に拠点を作った秀吉によって廃城となった「小谷城」は、世の無常を感じさせる山城の筆頭だ
「長浜城」の近くにある「豊国神社」では秀吉を祀っている。出世開運の神様として崇敬されている神社には、絶えず人が訪れる
境内には2026年のNHK大河ドラマで脚光を浴びる、秀長の解説板も設置されていた。家臣として政務、軍務を支えた秀長の活躍や、兄弟の絆が記されている
境内には2026年のNHK大河ドラマで脚光を浴びる、秀長の解説板も設置されていた。家臣として政務、軍務を支えた秀長の活躍や、兄弟の絆が記されている
大河ドラマの放送に合わせ、大河ドラマ館などの告知看板も長浜市内で見かけ、盛り上がりを感じた
長浜市内を散策していると、かつての堀の跡と思われる水路や橋が多数見られる。城下町としての風情が残っている人気の観光地
「小谷城跡」の入口付近(番所跡)に、絵図の解説板やのぼりがあった。撮影したのち、バイクを駐車スペースに移動して登城することにした。クマには要注意
門が失われてもなお威容を放つ「黒金門跡」。往時は鉄を打ちつけた扉があったとされる

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